空母キティホーク司令官2003年「年次報告」
2004年3月31日
(抜粋訳)
●日誌部分
1月23日(2月23日と誤記している)
キティホークは、マラッカ海峡、ホルムズ海峡を無事に通過し、南方監視作戦(OSW)とイラク自由作戦(OIF)を支援する104日の配備のために横須賀を出発。
●記述部分
キティホークの42年目(訳注:2003年のこと)の2月、「闘猫」(訳注:キティホークのこと)の第32代の司令官トーマス・A・パーカー海軍大佐が着任した。2月27日、洋上で式典が行われ、パーカー海軍大佐は、2002年9月3日以来司令官であったロバート・D・バーバレー・ジュニアー海軍大佐と交替した。
司令官交代の後、1週間も経たない時に、パーカー大佐、キティホーク乗組員および第5空母航空団(CVW-5)は、イラクにおける監視活動を行うために他の海軍空母打撃団に合流した。キティホークとCVW-5は、国連決議で要求された*南方飛行禁止ゾーンを執行するに際して卓越した役割を果たした。(*訳者注:これは米軍の勝手な言い分)
南方監視作戦(OSW)が2003年春に入っても継続するなかで、キティホーク打撃団は、ローテーション・スケジュールで他の打撃団に加わった。飛行禁止ゾーンにおける共同の偵察飛行のために、OSWに参加している多くの部隊がスケジュールによって編み上げられた。その任務スケジュールによって、さまざまなOSW参加部隊のそれぞれが、飛行禁止ゾーン偵察飛行の危険と責任を担うことができた。