横須賀はトマホーク・ミサイル基地
貯蔵・積み降ろしは横須賀で
駆逐艦ファイフの6年間の弾薬移動記録から判明


NPO法人ピースデポ 2003年9月12日 横須賀




 湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争などで横須賀の米軍艦が、トマホーク発射艦として活躍してきたことは、よく知られている。しかし、そのミサイルがどこで搭載されているのかに関しては謎であった。基地監視の市民による積み込みの目撃写真があったが、中味についての確証がなかった。今回、その確証が得られた。

 駆逐艦ファイフは、横須賀母港中に湾岸戦争で最多のトマホークを発射した艦として、米海軍に記録されている。私たちは、1991年から1997年までのファイフの司令官年次報告と節目の時期の航海日誌を入手し、その分析を進めてきた。司令官日誌に弾薬の移動記録が含まれており、それを手がかりにトマホークの授受の数と場所のほぼ全貌が明らかになった。

 北朝鮮のミサイル開発が大きな懸念材料になっているときに、北朝鮮に届くミサイルが大量に横須賀に貯蔵されていることは、国際的に重要な意味をもつ。


1.基礎情報

 米海軍駆逐艦ファイフ(DD991)は、1988年8月から1998年まで約10年間横須賀を母港にしていたスプルーアンス級の駆逐艦である。初めて横須賀を母港にしたトマホーク発射能力艦2隻の中の1隻である。艦前方に垂直発射システム(VLS)Mk41が装備されている。Mk41は垂直発射管8本を単位としたモジュールで構成され、モジュール8個が並んでMk41となる。3本の発射管スペースがクレーン用に使われているため有効なミサイル発射管は61基である。これらに巡航ミサイル・トマホークないし対潜ミサイル・アスロック(VLA)が装着される。何発がトマホークに当てられているかは不明である。

 ファイフは、1991年1月17日、湾岸戦争の初日からトマホーク攻撃に参加した。米海軍は総数288発のトマホークを湾岸戦争で発射したが、ファイフは最多の60発を発射したと記録されている。2位はポール・フォスターの40発である。

巡航ミサイル・トマホークには、主要には表1に掲げたような4種類がある。核トマホークは、91年9月、ブッシュ・イニシャティブによって軍艦から撤去された。


2.資料の概要

 ピースデポでは、ファイフの「司令官年次報告(Command History)」(以下、単に「年次報告」)の1991年から1997年の7年分を、米情報公開法と米海軍歴史センターでの閲覧請求によって入手した。また、必要と思われる期間の航海日誌(Deck Log)を同様な方法で入手した。

 年次報告には、一年間の日を追って、航海、寄港、訓練、修理などの概略が記されているが、ピースデポではこれを元にこの7年間のファイフの航跡図を作成した。それによって明らかなように、この期間に、三度のペルシャ湾行きを果たすとともに、リムパック、タンデム・スラスト、コブラゴールド、シャーレム(米韓)など多くの同盟国との演習に参加した。また、94年7月の金日成死去時の朝鮮半島への対応がうかがえる。

 注目すべきは、年次報告に「弾薬の移動」に関する記録が添付されていたことである。あいにく、入手資料には91年の弾薬記録の1ページ目と95年のすべてが欠落していたが、その他のすべての年の計70ヶ月にわたる「弾薬の移動」記録が明らかになった。我々の知る限り、このような資料の入手は初めてである。


3.弾薬の移動記録

 代表的な見本として、93年のカバーページと「弾薬の移動」記録を添付した。ここには日付(登録日)、名称、海軍弾薬兵站記号(Naval Ammunition Logistic Cord=NALC)、処理、量が記載されている。名称の中には、手榴弾、近接防空機関砲(CIWS)、照明弾、シースパロー、魚雷、マーカー(信号弾)、弾頭信管、ソノブイ、発煙弾、ハプーン、チャフ(電波妨害弾)、アスロックなど多種類の弾薬にまざって、トマホークが含まれている。処理の欄には、受領(RCVD)、移転(XFER=Transfer)、消費(EXPD=Expended)などの記載がある。

 トマホークには、1100台、1400台、1600台、3100台、3200台、3400台の数字の海軍弾薬兵站記号が付されているが、分類上の区分がとの関係は不明である。

 また、96年と97年の弾薬移動記録の名称欄にはトマホークの種類も明記されている。それによると、積み降ろしされているトマホークは、すべてTLAM-CとTLAM-Dのいずれかであった。

 弾薬移動記録から、登録日と受領、あるいは移転されたトマホークの数を表にしたものが、表2の「駆逐艦ファイフのトマホーク移動表」である。


4.分析

@統計

 70ヶ月のデータから、この間に横須賀で積み下ろしされたトマホークの延べ個数は595発である。1ヶ月平均約9発、年間約100発のトマホークの積み下ろしが行われている計算になる。

 また、軍艦ごとにトマホーク任務の強弱があるはずであるが、仮に表3に掲げた横須賀を母港とする6隻のトマホーク発射艦が、ファイフと同様な割合でトマホークの積み下ろしを行うとすると、横須賀では平均して年間913発、実に1000発近いトマホークが積み降ろしされている計算になる。

 横須賀はトマホーク・ミサイル基地であると言っても過言ではないであろう。

 また、整備用のミサイルを考えると、横須賀に多いときには500発近いトマホークが貯蔵されている可能性がある。

A場所

 司令官年次報告で、日付が分かるとファイフの居場所が分かる。また、必ず漏れずに記載されているわけではないが、年次報告には横須賀沖合いの投錨地(A12)で弾薬の積み下ろしをしたという記載もしばしばある。このようにして、弾薬移動記録の日付にファイフがどこにいたか、その場所を調査し記したのが、表2の場所欄の記載である。ジュベル・アリ(湾岸戦争からの帰途)とスービック(基地閉鎖に伴う引越し)の例外を除いて、すべてが横須賀で行われている。これは予想を超えた重要な発見であった。

横須賀のどこかということに関しては、航海日誌はさらに詳細な弾薬の積み下ろしの記録を示していることがあった。たとえば、1994年4月6日の航海日誌のように、ハーバーマスター・ピアから投錨地A12に出向いて弾薬の積み込みをした状況が詳細に記されている。4月6日に作業されたものが弾薬移動記録では4月8日に登録されている。このように航海日誌で情報が得られたものは、表2に*印をつけた。

場所に関しては、さらに興味深い発見があった。各紙報道によると、横須賀市民グループの鈴木茂樹さんが、1991年11月22日に浦郷弾薬庫から白いキャニスターが運ばれハーバーマスター・ピアでファイフに積み込まれた場面を写真におさめた。弾薬移動記録には、11月23日にトマホーク14発が積み込まれ、4発が降ろされたことが登録されている。写真の中身がトマホークであったことが、初めて確認されたことになる。当日、アスロックの移動は記録されていない。


われわれの調査で確認できた積み込みの場所は、投錨地A12、ハーバーマスター・ピア、第10号バースの三箇所である。また状況から見て、ミサイルはバージを介して、浦郷弾薬庫とファイフの間でやり取りをしていることも間違いない。


B事故の記録

 1992年4月14日の航海日誌は、午前9時10分にハーバーマスター・ピアで次のようなトマホーク移動中の事故を記載している。

While reconnecting loose umbilical cord on Module 1 Cell 6 containing TLAM D-T caused deluge of canister due to 24 volt power not secured. Liaison with CFAY Ordnance indicates affected canister will be removed today and replaced with TLAM C. NAOMAN investigation initiated.

トマホークTLAM−Dの入ったモジュール1、セル6の緩んだ命綱を結び直している途中に、24ボルト電源が入っていなかったので、キャにスターが水浸しになった。横須賀基地武器部との連絡で、だめになったキャにスターは今日中に除去して、トマホークTLAM−Cと交換することになった。海軍弾薬係の調査が始まった。


 この記載は、弾薬移動記録の4月15日に登録されている作業に相当し、交換されたトマホークは4月16日の移転1、受領1にピッタリ一致する。これによっても、ハーバーマスター・ピアでのトマホークの積み下ろしの事実と、交換用のトマホークが横須賀(浦郷)に存在することを確認することが出来る。


C核トマホーク

 ブッシュ・イニシャチブが完了する(完了宣言は92年7月)までの期間、ファイフは核トマホークを搭載していた可能性は否定できない。事実、91年の司令官年次報告のみ、ファイフが核能力を持っていたことを示している。つまり、次の記録がある。それ以後には同種の記載はない。

91年8月5日に韓国鎮海に着き、9日までファイフは9024核兵器訓練を行った。

91年10月19日に韓国鎮海に着き、ファイフは極めて成功裡に核兵器技術練度検査(NTPI)を行い20日に終了して優秀な総合点を得た。

9024核兵器訓練の中身は不明であるが、NTPIはよく知られた核能力検定試験で、米艦船が核能力を維持するために定期的に義務付けられていた。

しかし、今回得られた91年、92年の弾薬移動記録からは、核トマホークに関する情報を得ることはできなかった。

Dファイフはトマホーク専用艦

 前述したようにファイフの61本の垂直発射システムに装着されるミサイルはトマホークかアスロックのみである。ところが入手されたデータによると、アスロックの授受は極めて少ない。70ヶ月の記録で11発の積み降ろしがあるだけである。それに反して、トマホークは一時に60発積み込まれたり、降ろされたりした記録がある。

これらのことから、ファイフはほとんどすべての発射管をトマホーク用に当てられたトマホーク専用艦であったと考えられる。後継艦(カッシング)、もしくは同種艦オブライエン、あるいは両方が、現在その任を負っている可能性がある。


5.考察

 横須賀がトマホークの大量の貯蔵、積み込みの基地であることが鮮明になり、かつ母港になっている6隻のトマホーク艦の中には、トマホーク専用艦があることが明らかになったことは、国際的にも大きな意味を持つ。

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のミサイル開発は中止されるべきであるが、ノドンとほぼ同じ射程を持つトマホークが大量に横須賀に貯蔵されているときに、一方的に北朝鮮のミサイルの脅威を言うだけでは、公正な軍縮議論にならない。ノドンは弾道ミサイルであり、トマホークは巡航ミサイルであるという違いがあるが、予告時間なく急襲できる点に変わりはない。トマホークの方がはるかに、命中精度が高い。日本は両方のミサイル撤去を求めるべきである。

市民にとっては、攻撃対象となりうる基地の危険性に関して、いっそう真剣に考える必要が出てきたと思う。

ペルシャ湾で戦争するためのミサイル基地をなぜ横須賀におく必要があるのかという、基地の政治的な意味を改めて問い直さざるを得ない。



       問い合わせ先  梅林宏道(ピースデポ代表)
              ピースデポ(NPO法人)
                       〒223-0051 横浜市港北区箕輪町3−3−1−102
             電話:045-563-5101 FAX:045-563-9907






ページの先頭に戻る



特定非営利活動法人
ピースデポ
〒223-0051 横浜市港北区箕輪町3-3-1-102
TEL:045-563-5101 FAX:045-563-9907
Email:
office@peacedepot.org