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長崎シンポジウム
核兵器廃絶をめざす市民の集い
―2005年NPT再検討会議への長崎からの提言―
日時 2004年10月24日13:30〜16:00
場所 長崎原爆資料館ホール
はじめに 2005年5月初めからニューヨークで行われる「核拡散防止条約再検討会議」にむけて、長崎からの提言をまとめるために、去る10月24日、長崎原爆資料館において「核兵器廃絶をめざす市民の集い」を開催した。約100名の出席者を得て活発な意見が出された。
これは広島、長崎、首都圏からの提言をまとめるための第2弾として行われたもので、すでに広島では3月24日に開催された。首都圏での開催は2005年2月19日に東京で「被爆60周年―2005年を核兵器廃絶の転換の年に! 2・19集会」と銘打って行うことが決定している。
「市民の集い」は次のように進められた。最初に3人の基調発言が各20分ずつ行われ、その後、長崎市民からの質疑や意見が述べられた。基調発言は土山秀夫氏(核兵器廃絶ナガサキ市民会議共同代表)、嘉指信雄氏(核兵器廃絶をめざす「ひろしまの会」運営委員)、最後に梅林宏道氏(ピースデポ代表)の順。
以下にその発言要旨を紹介する。当日都合が悪くて不参加だった方、発言の機会がなかったので付け加えたいという方はぜひ事務局までファックスまたはメールで連絡ください。
FAX 095−846−5170(地球市民集会事務局・廣瀬方人)
E-mail<gca.naga@viola.ocn.ne.jp>
土山秀夫氏:土山さんは、「核拡散防止条約(NPT)」が成立した過程と現状、来年への提案を行った。
(1) 1970年に核拡散防止条約(NPT)が発効。25年目の1995年にこの条約の無期限延が決定された。そのとき非核保有国の要求で、5年目ごとに再検討会議を開催することになった。この折、条約の第6条;核軍縮の義務、あらゆる種類の核軍縮(CTBT),核分裂物質の生産禁止(カットオフ条約)、核弾頭の削減や第7条;非核兵器地帯の設置や消極的安全保障(核保有国が非保有国を攻撃しない)などが確認された。
1998年、インドとパキスタンの核実験があり、2000年の再検討会議を揺るがすことになったが、新アジェンダ連合(メキシコなど中堅国家7カ国)の粘り強い努力で、核兵器の完全廃棄に向けた明確な約束がなされるなど13項目の具体的な目標が明確化された。
(2)こうして21世紀は核軍縮への明るい展望が開かれたかに見えたが、2001年米国でブッシュ政権が誕生、ネオコンやキリスト教原理主義グループと結びついて、核軍縮に反対或いは非協力の政策を次々と打ち出した。@CTBTの批准拒否から死文化 AABM制限条約の一方的破棄 Bミサイル防衛網の配置 CSTART条約の骨抜き。そして地中貫通型を含む小型(=新型)核兵器の開発 Dその開発のために地下核実験の再開の準備など核軍縮とはまったく反対に核軍拡に向かおうとていている。
(3)来年のNPTに対する米国の姿勢(7月の国連軍縮札幌会議における米国の発言)は、ブッシュ大統領がG8で発言したのとまったく同じく、世界は核拡散を如何に防ぐかを最大の課題にしなければならないというだけで、核軍縮については全く触れようとしなかった。
(4)来年のNPTに向けて、われわれが頼るべき所は「新アジェンダ連合」の力である。日本政府、外務省は2000年における新アジェンダ連合の活躍の成果を見て、自分たちのお株を取られたという変な対抗意識を持っている。われわれは日本政府を動かして新アジェンダ連合諸政府との連携を強化し、今度こそ核兵器廃絶への明確は道筋を示させ、それを加速させるように働きかけていかなければならない。
嘉指信雄氏:まだ決定はされていないが、広島で話し合われているいろいろな具体的な案について示唆に富んだ提案が行われた。時間不足で発言されなかった部分は当日配布されたレジュメを参考にして事務局でまとめた。
(1) 広島・長崎からの発言は核兵器廃絶の原点。
今年アジアで開かれた2つの国際会議に参加した。
@ 第5回「アセム・ピープルズ・フォーラム」(ハノイ)
テーマ:「アジアとヨーロッパにおける“人間の安全保障”のための市民アクション」
A 第16回「核戦争防止国際医師会議」(IPPNW)世界大会(北京)
テーマ:「平和と核軍縮を通じての健康」
ハノイの大会で広島の秋葉市長のスライドを使った講演が行われ、参加者の心に強く訴えた。私はこの2つの大会を通じて広島・長崎からの訴えが核兵器廃絶の運動を広げていく上でやはり原点になるものだということを痛感した。そういう意味で今後も広島・長崎からの訴えは重要な役割を果たすと考える。
(2) 広島での行動計画(案)
@ 来年の3〜4月を、広島の声を「NPT再検討会議」に届けるキャンペ−ンのための「行動月間」とする。「被爆60年」に向け、「被爆者との対話」を軸として、核兵器廃絶への世論を活性化し発展させる。とくに市民や若い世代が再検討会議の意義を理解する機会をもっとつくることが大切である。
A 昨年3月、米国のイラク攻撃開始の危機が迫っていたとき、「NO WAR NO DU!」
の人文字を作り、それを空から写真に写して世界にアピールした。その際、広島市の街頭にテントを張って市民に訴えた。
さらにこの人文字写真を添えた意見広告をニューヨークタイムズに掲載。450万円の広告料がわずか2週間で集まった。
その時とは状況が異なるけれども、今回も次のような企画を考えている。
被爆者の証言や情報交換の場を設ける
路上ミュージシャンに呼びかけた街頭宣伝
NPTへメンバーを派遣するためのカンパ活動
核兵器廃絶の賛同署名運動
以上のような活動の間に、対話集会や講演会のようなものを入れる
キャンペーンの核として、来年4月に「人文字」に類するイベントを開き、カンパを呼びかけてニューヨークタイムズ紙などに意見広告を出す。意見広告では「NPT再検討会議」の開催時期にヒロシマ・ナガサキの声を世界の人々に訴える。
B 広島県内の自治体首長にニューヨーク行きを働きかける(非核宣言都市の首長として行動を呼びかける)
C 昨年出された「平和市長会議」による「緊急行動・2020ビジョン」(2020年までにすべての核兵器を廃棄するマップロ−ドの実現)
D マイケル・ムーア監督に広島・長崎原爆投下記録映画を作ってもらうという運動(ムーア・プロジェクト)への参加
(3) 大量破壊兵器としての劣化ウラン兵器について、原子力文化振興財団のパンフレット「劣化ウラン弾による環境影響の問題性」の紹介
梅林宏道氏:1995年のNPT再検討会議から現在までの核兵器廃絶運動を振り返ってこれを「疾走する10年」と回顧し、来年に向けてわれわれは何をしなければならないかを提案した。
(1) 1995年のNPT再検討会議のときニューヨークに集まった世界のNGOの活動と努力に目を見張った。アメリカからは100名の活動家が結集。彼らは現在のようにまだパソコンがなかった時代に重い資料をリュックに入れて集まり、核兵器廃絶に熱心な発展途上国の代表に会議での1票を期待して核兵器問題に関する資料を提供した。私はその活動にカルチャーショックを受け、帰国してから「核兵器・核実験モニター」を創刊、正確な情報やデータを提供する運動を始めた。
(2) NGOの大きな目標は核拡散防止条約(NPT)を越えて「すべての核兵器を廃絶する条約」を締結させることであった。しかし、当面NPT以外に核兵器拡散を防止する条約がなかったためその条約を認めながら、一方、2000年までに核兵器廃絶をめざすという「アボリション2000」の運動が生まれた。また、もうひとつ、国際司法裁判所に「核兵器の違法性を認めさせる運動」が起こって、1996年に国際司法裁判所が「核兵器による威嚇または使用は一般的に違法である」という勧告的意見を出した。
(3) このような情勢の中で、1998年にインド、パキスタンが相次いで核実験を行い、NPT体制が根本から問われることになった。世界NGOでは、核兵器廃絶のために活動する新しい国家連合が生まれることを期待しているとき、「新アジェンダ連合」(7カ国)という国家連合が生まれたことを歓迎し、これをバックアップして運動を進めた。また一方、「中堅国家構想」という新しいNGOグループが生まれ、新アジェンダ連合をバックアップした。このグループにドイツ、オランダ、ベルギー、オーストらリヤ、カナダそして日本が加わわればさらに大きな力なることを期待された。
私は日本の外務省と交渉し、国際NGOと日本外務省との対話の場をもうけること出来た。さらに1998年〜99年に日本政府が核兵器廃絶と核不拡散の勧告文書を世界に発表する目的で「東京フォーラム」という専門家会議を呼びかけた。われわれは広島・長崎・首都圏の市民が意見を持ち寄って外務省に日本の被爆者や市民の意見を挙げるという活動を広げ、ここに日本の市民NGOと外務省の対話の場が設けられた。
(4) こうして2000年4月にNPT再検討会議が開かれ、新アジェンダ連合が大活躍をして核兵器保有国に13項目プラス2の約束をさせた。この中に、「核兵器廃絶のための明確な約束」が含まれることになった。その裏で日本政府の大きな失敗がはっきりした。日本政府は以前から「新アジェンダ連合の主張は核兵器保有国に敵対し彼らを刺激するばかりで効果はない。あれは間違っている。日本政府は新アジェンダのやり方には反対である」と公言していた。しかし核保有五カ国は2000年の会議の落としどころを求めるために新アジェンダ連合と交渉して文書をまとめた。日本政府はまったく蚊帳の外に置かれ面目丸つぶれでたいへん怒った。
(5) この3年間、「核軍縮・日本の成績表」をもとに交渉を続けてきた。若手の外交官がこれをしっかり読んでくれていることは大きな希望だが、残念ながら政策を変える力にまではなっていない。議員が動かなければ外務省は動かない。議員を動かすのは市民である。2002年に「核軍縮議員ネットワーク」が結成されたが大きな力になっていない。
(6) 来年に向けて大きな希望がある。それは「平和市長会議」が出した緊急行動と2020年ビジョンである。国際NGOは救世主が現れたと大きな期待を寄せて、その活動を見守りかつ協力しようとしている。そして、情勢はたいへん困難であるが、国際NGOが核兵器廃絶のためのロードマップを作成し、その道筋をNPT再検討会議で受け入れて明確な形でそれが確立されることが期待されている。
(7) そのための私たちの課題は日本政府を動かすことである。1964年、今から40年前に中国が核実験に成功したとき、日本政府は2つの選択肢を立てた。一つは日本の核武装、もう一つは米国の核の傘である。そして日本政府は現在もその2つの選択肢しか考えていない。第3の選択肢「東北アジア非核地帯」を選択すれば日本は核の傘からも脱却してかつ日本の安全保障を確立できる。これを日本政府に選択させることが出来ればNPT再検討会議は大きく変わる。世界に対する波及効果は絶大である。
(8) 結び:ヒロシマ・ナガサキの役割ー多次元ブリッジ
それはヒロシマ・ナガサキが核保有国と非核保有国との間に立って、なぜ核兵器をなくさなければならないかを説得力をもって訴えていく役割であり、また国内においては「核の傘派」と「核の傘をなくせ派」の間のブリッジである。現在、長崎の出身の国会議員は核兵器廃絶のためにはほとんど動いていない。これを地元から動かしていくのは非常に大切なことだと思う。ブリッジを掛けるためには橋脚が必要である。その橋脚こそここの集まっている皆さんであることを訴えたい。
市民からの提案
1. この夏、高校生平和大使としてジュネーブの国連軍縮本部などを訪問した。軍縮会議を傍聴したとき、議長から長崎から来たピースメッセンジャーとして全体に紹介された。長崎からの発言がたいへん重要視されていることを感じた。単に戦争がないというばかりでなく、世界中の子供たちひとりひとりが笑顔で暮らせる世界が本当の平和な世界だという私たちの発言も多くの人の賛同を得た。被爆者や被爆二世、三世は長崎・広島では珍しいことではないのに、外国に行ったら私たちの発言は大きな重みを持っている。今後、高校生一万人署名を他県の高校生や、韓国、フィリッピンの高校生などにも広げていきたい。
2. 日本の政治家は口先だけ「核兵器廃絶」などと発言するが行動が伴わない。非核三原則は国是と言いながら法制化していない。NPT再検討会議では2000年の「核兵器廃絶の明確な約束」を実現するように強く訴えよう。
3. 非核宣言自治体が市会議員、国会議員に働きかけて日本の国是として非核三原則があることをNPTの会議で伝えるように働きかけよう。
4. 今年夏の平和宣言で長崎市長がアメリカ市民に呼びかけたがその返事はどうなっているのか?もし何かの反応があったのなら、市の関係職員から発表してほしい。アメリカが率先して核兵器廃絶の手本を示さなければ廃絶は実現しないだろう。
5. 「大量破壊兵器」という言葉の中に核兵器を埋没させてしまってはいけない。今後「核兵器」と「大量破壊兵器」は区別して使うようにしよう。
6. 「核兵器廃絶のメリット」がどこにあるかを明確にさせなければならない。そうでないと、「核兵器を廃棄したためにイラクはアメリカに攻められた、廃棄するとフセインのようになる」と、むしろ核兵器拡散の方向に向かう恐れがある。
7. 日本が国連安保理事国入りを目指すなら、日本がCTBTの発効に向けて活躍したということを各国が認めるような行動をすれば世界の国々も日本の理事国入りはアメリカに2票目を与えるようなものだという評価はしないだろう。そのような努力を日本政府に促すような行動を起こすべきである。
8. 核兵器を廃棄するメリットは何かをNPT会議の中で討議するべきである。ナガサキ・ヒロシマの「原爆の残虐性、無差別な大量虐殺」という言葉が口先だけで何の実感も伴わないまま目の前を通り過ぎていないか。NPT会議で被爆者の声をじかに聞くようにさせたい。
9. 今年4月のNPT準備委員会が何の成果もなく決裂したと聞いてショックを受けた。危機感を持っている。「核拡散防止構想―PSI」に米国が軸足を移した事情は何かを聞きたい。
10. 何の異論も唱えずにブッシュ政権に追随する日本政府の態度に怒りを感じる。日本政府が核兵器廃絶を実現することになれば、私たちの日常の生活はどう変わるのかを、日々の生活や会話の身近な所で私たちが問題にする中で政府を動かしていくことが出来るのではないか。
11. 「被爆写真を海外に贈ろう」という声があるが、小泉首相や国会議員にそんな写真を見せることが必要ではないか。「被爆首相の発言は重みが違う」と受け止められるような運動を私たちが国内の身近な所でやっていく必要がある。平和運動は特別な人がやるものだという受け止め方や、「そんな集会は暗い感じがする」というようなやり方ではなくてもっと明るく前向きな雰囲気と提言が必要である。
12. 被爆地の高校生の発言だから訴える力がるという発言があった。若い世代を育てていくことに市民がもっと関心を持つことが大切。今日は九州地区のPTAの集会が長崎で行われていたが、このようなPTAの集会でも被爆者の体験を聞いてもらい、家庭で親子が核兵器の問題について話をするような平和教育の手立てを考えることも必要ではないか。
13. 広島の代表の方からのレジュメで「マイケル・ムーア監督にヒロシマ・ナガサキの映画を作ってもらう運動」というのがあるが大賛成である。米国にはヒロシマ・ナガサキの資料がすべてあるはずだ。その資料を駆使して作ってもらいたい。映画に関連して、古い長崎・広島をテーマにした映画のDVD化と販売を事務局にお願いした。
14. 日本人には核兵器の危機についての危機感が欠如している。もし核戦争が起こればどんなことになるかのシュミレーションをした映画を作って広く公開すべきである。
15. ベラルーシに被爆マリアを持参して被爆体験を話したら大きな感動を持って受け止められた。広島からの提案にもあったように、被爆者が描いた絵などの絵葉書を作成して国内外の議員たちに、核兵器廃絶にご協力下さいというメッセージを添えて出したらどうだろうか。
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