■ 非核地帯



現存する非核地帯と東北アジア非核地帯

2001年1月30−31日、ソウル


梅林宏道
ピースデポ代表、太平洋軍備撤廃運動(PCDS)国際コーディネーター



§1 非核地帯とは

 ここで議論する非核地帯とは、厳密には「非核兵器地帯(Nuclear Weapon-Free Zone)」である。言うまでもなく、非核地帯は、人類が作り出したもっとも破壊的な兵器である核兵器を制限しようとする国際的あるいは地域的な努力の現れである。しかし、それだけではない。非核地帯は同時に、核兵器についての関心のみならず、多様な歴史的条件をもっているそれぞれの地域の、国際的平和と安全保障に重要な役割を果たすことに強い関心をもっている。そのような広義の地域安全保障の目的意識をもって、非核地帯は追求され、達成され、維持されてきた。
 これまで、世界には、4つの非核地帯が実現している。これらの非核地帯は、それぞれ国際条約で規定されている。各条約は交渉ゆかりの地名をとった呼称で呼ばれている。
  1. ラテン・アメリカおよびカリブ地域非核地帯(トラテロルコ条約):1967年2月調印、68年4月発効。最初は名称に「カリブ地域」が入っていなかったが、1990年に改められた。トラテロルコは条約が調印されたメキシコシティの外務省所在地である。
  2. 南太平洋非核地帯(ラロトンガ条約):1985年8月調印、86年12月発効。ラロトンガは条約調印が行われたクック諸島の首都である。
  3. 東南アジア非核地帯(バンコク条約):1995年12月調印、97年3月発効。バンコク(タイ)は条約の調印地である。
  4. アフリカ非核地帯(ペリンダバ条約):1996年4月調印開始(カイロ)、未発効。ペリンダバは条約が95年6月に合意された南アフリカの地名である。

 これらの非核地帯内には、現在113カ国が含まれ、一種の非核地帯としての地位を獲得している南極大陸を含めると、地球の陸地の50%以上が非核地帯に属している。南半球の陸地のほとんどすべてが非核地帯に属している。

 現存するすべての非核地帯が共通してもっている要件は、次の3点である。

  1. 地帯内での核兵器の開発、実験、製造、生産、取得、所有、貯蔵、輸送(陸地、内水)、配備などを禁止すること(核兵器の不拡散と不配備)。
  2. 地帯内への核兵器による攻撃や攻撃の威嚇を禁止すること(消極的安全の保証)。
  3. 条約順守のための機構を設置する。

 この中の第2点にとくに注目したい。非核地帯というとき、非核保有国の第1点の核兵器の不拡散と不配備に関係する義務のみを連想しがちであるが、現存する非核地帯条約は、すべて、核兵器保有国に第2点の消極的安全保証を求める議定書を定めている。トラテロルコ条約においては、議定書2の第3条にこれが規定されており、ロシア(ソ連)が批准したのがもっとも遅かったが(79年)、すべての核保有国がこれに批准している。ラロトンガ条約においては、議定書2の第1条がそれであり、ロシアは88年、中国は89年に批准した。西側核兵器国は96年3月にフランスが核実験を終了した後、やっと調印をした。2000年1月までに米国以外は批准を完了した。バンコク条約では、議定書第2条、ペリンダバ条約では議定書1の第1条が核兵器保有国による消極的安全保証を求めている。バンコク条約では、まだどの核兵器国の調印も行われていない。ペリンダバ条約では、すべての核兵器国が調印を済ませている。
 すべての核兵器保有国による消極的安全保証が発効するとき、非核地帯は法的拘束力のある「非核の傘」のもとに置かれることになる。
 それぞれの非核地帯条約には、条約順守のための機構が設けられている。「ラテン・アメリカ核兵器禁止機構(OPANAL)」「(南太平洋非核地帯条約)協議委員会」「東南アジア非核兵器地帯委員会と同執行委員会」「原子力に関するアフリカ委員会」が、それである。


§2 既存の非核地帯の比較

 冷戦下の1960年代に交渉されたトラテロルコ条約から、冷戦後の包括的核実験禁止条約(CTBT)の締結の間近いころに締結されたバンコク条約やペリンダバ条約に至るまで、30年近い歳月の隔たりがある。したがって、4つの非核地帯条約には歴史的変遷のあとが見られる。その要点を整理しておこう。

(1)平和的核爆発(PNE)
 トラテロルコ条約は、兵器目的以外(土木工事など)の核爆発を一定の条件で許す規定を設けている。しかし、核不拡散条約(1970年発効)がこれを禁止したため、それ以後の非核地帯条約はPNEを含めて禁止している。
(2)核兵器搭載軍艦・航空機の一時通過・寄港
 トラテロルコ条約の時代状況においては、一時通過・寄港問題は関心の薄い問題であり、条約に特別の規定はなかった。しかし、ラロトンガ条約においては、この問題は極めてホットで政治的に微妙な問題となった。核保有国が「核兵器の存在を肯定も否定もしない(NCND)」政策をとり、かつ核保有国の同盟国が拡大抑止政策を受容したため、非核地帯条約に一時寄港を一律に禁止する内容は、採択されなかった。この問題は、非核地帯内の各国の独自判断に委ねられることになった(ラロトンガ条約第5条)。バンコク条約(第7条)、ペリンダバ条約(第4条)も、これを踏襲している。
(3)放射性廃棄物の投棄
 トラテロルコ条約には禁止規定が無かったが、ラロトンガ条約以後、すべての非核地帯条約において放射性廃棄物の海洋投棄を禁止するようになった。バンコク条約では、海洋投棄のみならず、さらに空中放出と自国領域外の陸地で処分することを禁じている。ペリンダバ条約では放射性廃棄物の国境を超えた移動、輸入、投棄を禁止している。
(4)排他的経済水域
 非核地帯の適用範囲に関しては、それぞれの条約特有の定め方をしている。トラテロルコ条約とラロトンガ条約は、地帯内の国家の領土・領海をこえた広範囲な公海を非核地帯に指定した。バンコク条約は、領土・領海の他に200カイリ排他的経済水域を非核地帯とした。ペリンダバ条約は、領土・領海を非核地帯の範囲としている。
(5)核施設への攻撃
 ペリンダバ条約は、核エネルギーの平和利用への相互協力を促進する狙いをもっている。それとの関連で「核施設に対する、通常手段あるいは他の手段による、武力攻撃を目的とするいかなる行動もとらない」ことを義務づけている(第11条)。


§3 東北アジア非核地帯:歴史

 具体的な非核地帯の構成を論じた東北アジア非核地帯の議論は、冷戦後に登場した。その経過を文献でたどっておこう。(文末の表参照)
 米国のジョージア工科大学の国際戦略・技術・政策センター(CISTP)のエンディコット教授らの研究グループが、彼らの数年にわたる共同作業の結果として、限定的東北アジア非核地帯(LNWFZ−NEA)の提案を公表したのは、1995年3月であった。このとき、彼らはワシントンでそのための記者会見をしている。
日本では、1995年6月の朝日新聞に紹介された。 エンディコットらの活動の経過は、1999年になって詳しく報告されているが、 それによると作業の開始は91年にさかのぼるが、ながく限られた個人の間の研究作業と意見交換に留められていた。
 エンディコットらのもっとも最初の非核地帯提案は、朝鮮半島の非軍事境界線を中心に半径約2000kmの円を描き、その中を非核地帯にするという円形地帯の提案であった。地帯内には、大韓民国(ROK)、朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)、日本、台湾の全体と中国、ロシア、モンゴルの一部が含まれる。また、日本、韓国に軍事基地をもつ米国も、条約参加国に含まれる。しかし、米・ロ・中・日・韓から参加した5人の専門家会議では、この案は「初期の合意においては一定の範疇の核兵器を含めないこととし、非戦略的ミサイル用弾頭のみを重視する」という限定条件をつけてやっと合意された。
 つまり、彼らの提案は、非戦略核に限定したという意味で限定的非核地帯(LNWFZ)の提案である。さらに、彼らは地帯内に米国領土が物理的に含まれるべきであるという考えから、円形を長軸が米国アラスカの一部にまで伸びるような楕円形地帯(実際にはアメリカ・フットボールの形をしている)に拡大した非核地帯案へと提案を発展させている。
 これとは別に、元日本外務省原子力課長の金子熊夫東海大学教授は、同様な円形地帯案を提案した。
 金子教授の案は限定的非核地帯とは異なり、地帯内の核兵器保有国と非保有国に別の義務条項を課し、核保有国に対しては地帯内の核を段階的に撤去するという考えに基づく全面的な円形非核地帯である。
 一方、オーストラリア国立大学国際関係学部長のマックは、「多分もっとも明白な北東アジア非核地帯は二つの朝鮮と日本と台湾を含むものだろう」と提案した。
 台湾は国ではないが、APECの一員であり、東北アジア非核地帯の構成地域になる条件があるとの指摘である。マックの論文は自らが編者となった国連軍縮研究所(UNIDIR)の報告書の一章をなすものであり、当時のこのテーマの考察としては示唆に富むものである。しかし、エンディコットらの研究についての言及はなく、当時はそれぞれの研究者の間に情報の交通がなかったことを示唆している。
 梅林宏道は、円形地帯案や楕円形地帯案の提案を歓迎しながらも、東北アジアの歴史と状況の緊急性の観点から、より現実的な地帯案を提案し、それをスリー・プラス・スリー案と名づけた。
 それは、東北アジアの非核国であるROK、DPRK、日本の三ヶ国が非核地帯条約を締結し、周辺の三つの核兵器保有国、つまり米国、ロシア、中国が消極的安全の保証などを含む非核地帯尊重の議定書に参加する、という提案である。(図参照)

 このアプローチは、中心となる三ヶ国がすでに公言している政策に立脚することができるという利点を持っている。つまり、南北朝鮮の間では1992年1月20日に調印された「朝鮮半島の非核化共同宣言」があり、「核兵器の実験、製作、製造、受領、所有、貯蔵、配備、および使用をしない」ことや「原子力エネルギーを平和目的にのみ利用する」ことを約束した。複雑な経緯をたどってはいるが、この宣言は今も生きている。一方、日本は、核兵器を作らず、持たず、持ち込ませずという非核三原則を持っている。また、1955年の原子力基本法は原子力の軍事利用を禁じている。
 限定的非核地帯構想を実現するために、政府関係者を含めたいわゆるトラック2の努力を継続するなかで、エンディコットたちは、戦術核兵器に限定してもなお、円形ないし楕円形地帯の実現は極めて困難であることを知った。「地帯の大きさ、形、含まれるべき兵器の種類、管理機構の詳細など、主要な問題についてほとんど前進が期待できない
10」なかで、このグループは第一段階と考えられた限定的非核地帯に至るための、さらに第一段階として新しい提案をした。「日本、ROK、可能ならばモンゴル、そして、もし非核保有国としての地位が明確になればDPRK、という非核兵器国に基礎をおいた第一段階・限定的非核地帯を創出する。11」これは、梅林のスリー・プラス・スリー案に極めて近いものである。
 このような経緯を経て、今日、日本においては、韓国、朝鮮民主主義人民共和国、日本を基本的構成要素とし、そしてモンゴル、さらには台湾を可能性として加えたような東北アジア非核地帯へのアプローチが現実的と受けとめられていると考えてよいであろう。最近の朝日新聞は次のように書いた。「近年は梅林氏の案のように、核を持たない国が先行して非核地帯条約を結ぶ構想が有力だ。
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§4 東北アジア非核地帯:意義

 東北アジア非核地帯を実現する仕事は、東北アジアの安全保障地図を塗り替えるような大きな意義のある事業である。日本政府・与党勢力が、米国の論調を利用しながら、日本周辺における日本に対する脅威を強調し、「日米防衛協力における新ガイドライン」(1997年)、「戦域ミサイル防衛(TMD)の日米共同研究」決定(1998年)、「周辺事態法」(1999年)と日本の軍事力の領土・領海外への投影が拡大する情勢の中で、日本の平和勢力は新しい課題に直面した。それは、脅威の宣伝の誤りと危険性を暴露するだけではなく、積極的に東北アジアの緊張を緩和し、信頼を醸成する平和構築の代案を提示する課題であった。
 東北アジア非核地帯の設立は、新しい視点を据えることさえできれば、そのような代案のなかで一般の人々にもっとも分かりやすい具体例である。
 「東北アジアを考えた場合、新ガイドラインに対する対案は何か。こう問われたならば私は即座に『東北アジア非核地帯を作ることである』と答えたいと思う。この二つは対置されるようなものではなくて、性格のちがう問題である、と反論があるかもしれない。しかし、そうではない。この二つはどちらも、東北アジアにおいて市民の平和と安全を確保するという共通のテーマに関する具体的な回答である。つまり東北アジアの安全保障についての対置されるべきアプローチである。両者のちがいは、旧来の『軍事力による安全保障』の原理でテーマを考えるのか、新しい『共通の安全保障』や『安全保障の民主化』の原理で考えるのか、のちがいである。
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 さらに具体的に考えると、東北アジア非核地帯は、第1節で述べた3つの要件を備えるだけでも、次のような諸点において地域の信頼醸成と緊張緩和に貢献する。

  1. 朝鮮半島から見たときに、日本の核兵器開発疑惑を、非核地帯条約が当然に備えるべき検証制度の下で確かめることができる。日本から見たとき、北朝鮮の核開発疑惑を同じように検証できる。このことによって、疑心暗鬼から増幅される日本の核武装論や韓国の「核主権論」を未然に防止することができる。
  2. 日本政府が、軍拡の論拠として表明する中国に対する不信感、なかでも中国の核政策の要点である「非核国には、無条件に核攻撃をしない」という安全の保証を、法的拘束力のあるものにすることができる。ロシアに対しても同様である。DPRKからすれば、94年米朝枠組み合意の中で約束されている米国の「核兵器による威嚇も使用も行わない」という約束に、法的拘束力を持たせることができる。これらは、いっそうの軍縮に向かうための基礎となる。
  3. 化学兵器や生物兵器の禁止は、非核地帯の直接の要件ではないが、非核地帯作りに合意するとすれば、自然に協議されるべき事項となる。核兵器と違って、生物・化学兵器に関しては、すでにそれらを禁止する国際条約が存在しているため、これらの国際条約との関連で議論される。この協議の機会が与えられることは、非核地帯のもたらす大きな恩恵の一つである。
  4. さらに一般的に、非核地帯条約で設置される条約実行機関は、核兵器問題を端緒としながらも、広範な安保問題を俎上にのせる場になると期待される。日本の植民地支配と謝罪なき戦後が生み出している根の深い不信が、将来の不幸な争いに発展しないような透明性の高い協議の場が、どこかに確保される必要があるが、条約実行機関はそのような協議の場作りの端緒となる。旧態依然たる米軍依存の安保構造から、主体的な新しい協調的地域安全保障への出発点となる。


§5 重要な争点

 前節では、もっとも一般的な要件を備えた「保守的な」東北アジア非核地帯であっても、その設立によってもたらされるであろう大きな福音について考察した。この節では、東北アジア特有の課題について論じたい。ここに掲げる論点は、2000年9月にウプサラ(スウェーデン)で開催された非核地帯国際セミナーとそれに続く会議で筆者が指摘した内容や討論で出された問題をまとめたものである。
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(1)プルトニウムの問題
 1994年米朝枠組み合意は、DPRKに対して1992年南北非核化宣言の実行を求めている。その非核化宣言においては、プルトニウム再処理施設とウラン濃縮施設を南北ともに持たないことを宣言した。したがって、朝鮮半島エネルギー機構(KEDO)プロセスが完了したとき、ROKもDPRKもこの合意の条約化を考える段階を迎える。しかし、日本がこれらの能力を保持し続け、とりわけ巨大なプルトニウム経済をそのまま放置しておいて、南北朝鮮だけが縛られるという選択は、極めて困難であろう。したがって、この時点で日本も含めた非核地帯化を真剣に考えざるを得なくなる。また日本は、地域の安全保障のために大幅なプルトニウム政策の転換を考えなければならない。

(2)核兵器依存政策
 非核地帯に参加するということと、核兵器に依存する安全保障政策をとらないと言うこととは、必ずしも同じことではない。たとえば、日本が東北アジア非核地帯に参加しながら、米国の核抑止力への依存を続けることは論理的には可能である。しかし、日本への核兵器による攻撃の可能性は、非核地帯条約の議定書によって排除されているわけであるから、米国の核抑止は核兵器以外の兵器による攻撃に対して、核兵器による報復を想定することになる。つまり、非核地帯に入りながら核抑止力に依存するという政策は、核兵器を純粋に非核兵器のみに使うという政策を意味する。
 2000年の核不拡散条約(NPT)再検討会議で、すべての国は「核兵器の役割の縮小」という約束を行った。上記のような、非核兵器に核兵器を使うという政策は、明らかに核兵器の役割の拡大を意味することであり、NPT合意に違反する。
 したがって、新しい非核地帯条約においては、非核保有国は、その安全保障政策の一切において核兵器に依存しないことを明記することが妥当である。

(3)核搭載軍艦の寄港と一時通過
 第2節で述べた通り、現存する非核地帯は核兵器搭載軍艦の寄港や一時通過を許すかどうかの判断を、各国の自由裁量に任せている。一律には禁じていないのである。しかし、日本政府は、強い世論に押されて、核搭載艦の寄港・一時通過も非核三原則により許されないとの立場を採ってきた。寄港や一時通過を許す日米政府間の密約の存在を示す公文書が繰り返し暴露されても、日本政府はそれを否定している。したがって、東北アジア非核地帯は、寄港・一時通過も含めて禁止する初めての非核地帯になる可能性がある。
 一方で悲観的な見方では、国民を騙し続けるために、日本政府は最後まで東北アジア非核地帯の交渉そのものを拒否し続けるという見方もありうる。

(4)被爆の実相を伝える義務
 東北アジア非核地帯は、核兵器攻撃によって生み出された大量の被爆者を抱える初めての非核地帯である。広島、長崎の犠牲者は日本のみならず朝鮮半島にも存在する。したがって、東北アジア非核地帯が世界にユニークに貢献できる要素として、地帯内の各国が被爆者の医学的、社会的苦しみの実相を、国内・国外を問わず多くの市民に伝える義務を規定することが考えられる。

(5)原子力発電への攻撃禁止
 原子力発電への賛否の意見にかかわらず、現に原子炉が運転されている現状における措置として、市民に故意に放射能被害を生む原子炉への攻撃を禁止するという関心を、関係国が共有する可能性がある。


§6 むすび

 東北アジア非核地帯を実現する政治的・外交的な道筋には、さまざまな要素が影響を与えるであろう。この地域に既に存在しているさまざまな過程−−KEDO過程、南北会談、ミサイル協議を含む米朝会談、日朝正常化会談、南北両国と米中を交えた4者協議などなど−−の進展を見ながら、東北アジア非核地帯化の機会を窺うことが望ましい。
 とりわけ、KEDOプロセスが重要であると考えられる。プルトニウム問題に関連してKEDOの最終段階で、核問題が朝鮮半島だけでは片づけないことを指摘したが、もう一つ同様な状況が考えられる。それは、94年枠組み合意で、KEDOが完了したときに米国が約束している「DPRKに核攻撃をしないという保証」(消極的安全保証)に関係する。KEDOプロセスの最終段階で南北非核化宣言が実行され朝鮮半島が核を放棄するとき、DPRKは米国の消極的安全保証に対して、当然にも法的拘束力を要求すると思われる。そうするとDPRKにだけ安全保証を与えるという構図は片手落ちであり、韓国はロシアや中国から消極的安全保証を求めることになるであろう。この段階で、非核化で安定しようとする朝鮮半島の傍らで、日本だけが米国の核の傘に依存し続けるという、「日本の遅れ」が際だつことになる。このような予測のもとでは、日本にとってもまた、東北アジア全体の非核化が望ましいものとなるに違いない。
 どのようなプロセスをたどるにしろ、国境をこえた協調的安全保障の仕組みが前進するためには、いわゆる国益に惑わされず「人間の安全保障」を追求する市民活動、「非政府組織(NGO)」の活動が、大きな役割を果たすに違いない。

東北アジア非核地帯の提案
文献から見た主な年表

1995.3  エンディコットら、円形、楕円形の限定的非核地帯案
1995    アンドルー・マック、南北朝鮮・日本・台湾による非核地帯案
1996.3  金子熊夫、円形非核地帯案
1996.5  梅林宏道、南北朝鮮・日本のスリー・プラス・スリー案
1997.10 エンディコットら、第一段階として韓国・日本・モンゴルの非核国家連盟案

(詳しい説明は本文参照)


注:
1. 日本語では「東北アジア非核地帯」と「北東アジア非核地帯」という2種類の呼び方があるが、内容の違いはない。本論では、筆者の慣用にしたがって「東北アジア非核地帯」と呼ぶ。
2. Jayantha Dhanapala, "Nuclear Weapon-Free Zones: Challenges and Opportunities," presented at International Seminar 1-4 September, 2000, Uppsala, Sweden, and "The UN Disarmament Yearbook: 1999," The United Nations publication.
3. Center for International Strategy, Technology & Policy, Georgia Institute of Technology, "The Bordeaux Protocol of the Limited Nuclear Weapon Free Zone for Northeast Asia," March, 1997.
4. 「核兵器廃絶への道−−日本の選択3」、朝日新聞、1995年6月13日。
5. John E. Endicott & Alan G. Gorowitz, "Track II Cooperative Regional Security Efforts: Lessons from the Limited Nuclear-Weapon-Free Zone for Northeast Asia," Pacifica Review, Volume 11, #3, October 1999.
6. "The Agreement of Principles," in Atlanta, Georgia, USA, 24 February, 1995. 注5に全文。
7. Kumao Kaneko, "Japan Needs No Umbrella," Bulletin of Atomic Scientists, March/April 1996.
8. Andrew Mack, "A Northeast Asia Nuclear-Free Zone: problems and Prospects," Chapter 11 of "Nuclear Policies in Northeast Asia," UNIDIR/95/16, United Nations, 1995.
9. Hiro Umebayashi, "A Northeast Asia NWFZ: A Realistic and Attainable Goal," INESAP Conference, Gothenburg, Sweden, May 30 - June 2, 1996. It appears in INESAP Information Bulletin, No. 10, August, 1996. Also, "Northeast Asia Nuclear Weapon-Free Zone: Impact of the South Asian Nuclear Weapons Tests," presented at the Alternative Security Conference, Manila, Philippines, July 22 - 24, 1998.
10. 5と同じ。
11. "The Moscow Memorandum," in Moscow, Russia, 11 October, 1997. 注5に全文。
12.「東北アジアの非核構想シンポ−−南北和解、進展がカギ」、朝日新聞、2000年10月8日。
13. 梅林宏道、「アジア米軍と新ガイドライン」、岩波ブックレットNo.463、1998年10月20日。
14. Hiromichi Umebayashi, "High Time for the NGO Cooperation in the Region: Status Report of Efforts for a Northeast Asia Nuclear Weapon-Free Zone," NWFZ International Seminar, Uppsala, Sweden, 1-4 September, 2000. Also "Supplemental Memo on a Northeast Asia Nuclear Weapon-Free Zone," Strategic Peace and International Affairs Research Institute, Tokai University (SPIRIT) Symposium, Tokyo, October 3rd, 2000.



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