核軍縮:日本の成績表 非核地帯 日米安保 核兵器・核軍縮
ASEAN地域フォーラム 有事法制 核軍縮・議員ネットワーク 「テーマ別」の目次

■有事法制
第1便【有事法制の定義】
第1便(その2)【有事法制研究の沿革】
第2便【有事法制の本質:3つのキーワード】
第3便【法案要綱への視点】
第3便(その2)【有事法制議論の第2戦線を考えよう】
第4便【輪郭を現した「体系」】

第5便【6月地方議会が重要】
第6便【海外軍事行動への展開】
第7便【国会関与と文民統制】
第8便【継続審議、今後の課題】
 

有事法制・マエダ便 〜第1便〜(その2)

前田哲男

【有事法制研究の沿革】
 
「法制化の意図ない研究」
 〈有事法制研究〉は、1977年8月、福田内閣の時代、三原防衛庁長官の指示で開始、と翌年公表された。防衛庁の公表文(78年9月21日 抜粋)によれば、

  • 研究の対象は、自衛隊法第76条の規定により防衛出動が命ぜられるという事態において自衛隊がその任務を有効かつ円滑に遂行する上での法制上の諸問題である。
  • 問題点の整理が今回の研究の目的であり、近い将来に国会提出を予定した立法の準備ではない
  • 現行憲法の範囲内で行うものであるから、旧憲法下の戒厳令や徴兵制のような制度を考えることはあり得ないし、言論統制などの措置も検討の対象としない。
  • 今回の研究の成果は、ある程度まとまり次第、適時適切に国民の前に明らかにし、そのコンセンサスを得たいと考えている。

 などとのべられている。そこでは、あくまで“現行憲法の範囲内”での作業であること、また“研究”であって法制化の意図はないとの限界設定がなされた。しかし研究開始の日付に着目すると、べつの背景が浮上してくる。

  • 自衛権発動の基準および規模・程度、つまり日本防衛構想について基本的な指針文書となる〈防衛計画の大綱〉が初めて決定されたのは76年10月のことであり、研究開始はその直後に当たる。
  • 同時期には日米安保協議委員会の場で〈日米防衛協力のための指針〉(第1次ガイドライン)決定に向けた協議が進行中(76年7月、小委員会で制服組みをまじえ開始、78年11月決定)であった。 

 現実に進行したこれら二つの動きと照合すれば、〈有事法制研究〉が最初からたんなる“研究”にとどまらず、〈大綱〉=自衛隊出動計画と、〈ガイドライン〉=日米共同作戦計画と連動し一体性を保ちながら必要性が認識され、かつ位置づけられた背景を十分に推測できる。さらに―・栗栖統合幕僚会議議長が、〈防衛出動命令が出ないと武力行使ができないが、いざという場合には間に合わないので(第一線部隊は)超法規的行動をとらざるを得ない〉とのべた栗栖発言(78年7月『週刊ポスト』誌上)も、有事研究を意識し法制化の早期実現を側面から求めたものとして符合性を持つ。以上のように、発端から現実との接点を濃厚に有していたとみるべきである。

 77年8月に開始された防衛庁の<有事法制研究>は、その後、進展状況につき81年4月と84年10月に中間報告が発表され、<第1分類>=改正を要する防衛庁所管の法律(自衛隊法など)、<第2分類>=改正を要する他省庁所管の法律(道路法、建築基準法、医療法など)に関し、輪郭が明らかにされた(内容は次号以下で検討)。しかし研究項目に掲げられた<第3分類>=新規立法(三矢研究で示された<非常事態措置諸法令>、<戦時諸法令>)などについては、一切具体的内容について報告がなされないまま今日に至っている。この間、国会における論議も間歇的、散発的になされる程度で、有事法制論議はほぼ20年間“封印された”状態に置かれていた、といって過言ではない。
 風向きが変化したのは90年代半ばである。米政府による冷戦後世界戦略見直しのなかから提起された<安保再定義>―<ナイ・リポート>(95年2月)、<日米安保共同宣言>(96年4月)、<ガイドライン見直し協議開始>(同年6月)が、その合図であった。日米安保協力の運用基準を、“対ソ核抑止”から“ならず者国家”との軍事対決に据え直す安保再定義協議が進むなかで、有事法制研究は、もう一つの懸案―集団的自衛権行使容認と一体となって、新たな位置づけを与えられることになる。

 97年9月、日米間で共同作戦の基盤となる<新ガイドライン>が合意され、その実効性を確保するための国内法<周辺事態法>が99年5月に成立すると、<有事法制研究>は長い沈黙と潜伏の時期を脱し、法制化への動きを始めた。新ガイドラインには、自衛隊の海外任務新設ばかりでなく、周辺事態における日本の<後方地域支援>任務として<民間空港・港湾の一時的使用>はじめ輸送・医療・給水など広範な<地方公共団体と民間企業>の協力事項(別表)が盛られていた。また<周辺事態法>第9条では、それらを実施するため地方自治体と民間に対する国の指示権も規定された。安保協力における自衛隊の新任務―周辺事態協力や後方地域支援は、取りも直さず、集団的自衛権行使=自衛隊の海外派兵の実質的容認にほかならず、それは新たな国内基盤創出を前提とし、従来と異なる法的枠組みの整備につながらざるを得ない。有事法制は、もはや“研究の段階”ではあり得なくなった。

 99年10月、自民・公明・自由3党(と改革クラブが、<政治・政策課題合意書>に合意した。
 1、政府の進めてきた有事法制研究を踏まえ、@第1分類、第2分類のうち早急に整備するものとして合意が得られる事項の立法化を図る。A右記@で当面、立法化の対象とならない事項及び第3分類も、今後、所要の法整備を行うことを前提に検討を進める。
 次いで00年3月、3党政策責任者は、<わが国の緊急事態への対応については、政府の進めてきた有事法制研究の、法制化を前提にしないという縛りを外し、第1分類、第2分類を中心に、新しい事態を含めた緊急事態法制として法制化を目指した検討を開始するよう、政府に要請する>ことで合意した。文書中にある“新しい事態”とは、ガイドライン合意と周辺事態法成立の間に発生した、北朝鮮による<テポドン打ち上げ>(98年8月)と<能登沖不審船事件>(99年3月)を指している。二つの出来事は、発生時期の絶妙なタイミングによって、政府与党の姿勢転換にはずみをつける格好の材料となった。不審船事件直後、小渕首相は、<国民の生命・財産を守るためにいかなる措置を講ずべきか。いろいろな事情に照らして対処するのは政府の責任である>(99年3月27日、衆院ガイドライン特別委)とのべ、研究と法制化とは別次元だとしてきた政府見解を事実上修正した。翌28日、野呂田防衛庁長官は、防衛医科大学校卒業式における講演でさらに一歩進め、有事法制は<研究にとどまらず、その結果に基づき法制が整備されることが望ましい>と、法制化への口火を切った。以後の論議はこの“テポドンと不審船”を追い風にして一気に国民世論に浸透し、これが与党3党の政策協議の場に移され、政府・与党一致した法制化の方向へと流れがつくられていくのである。

 21世紀の国会は、“有事法制宣言”によって始まる。01年1月31日森首相が施政方針演説で、初めて法制化に言及したのである。新ガイドライン〜周辺事態法〜テポドン・不審船の帰結でもあった。
 ――有事法制は、自衛隊が文民統制の下で、国家、国民の安全を確保するため必要であります。先般の与党の考え方をも十分に受け止め、検討を開始してまいります(01.1.31)。

 02年4月、小泉首相が登場すると、法制化への意欲はさらに加速される。主要発言を抜粋しておく。

  • ――所信表明演説。 治にいて乱を忘れず、は政治の要諦であります。私は、いったん、国家、国民に危機が迫った場合に、どういう体制をとるべきか検討を進めることは、政治の責任と考えており、有事法制について検討を進めてまいります(01.5.7)。
  • ――所信表明演説。 いったん国家、国民に危機が迫った場合に、適切な対応を取り得る体制を平時から備えておくことは、政治の責任です。「備えあれ憂いなし」、この考えに立って、有事法制の検討を進めてまいります(01.9.27)。
  • ――年頭記者会見。 (01年12月の<奄美沖不審船事件>に触れながら)日本人の想像を超えるような不可解な意図と装備、能力を持ち、日本に危害を与えるかもしれないグループに対し、どういう措置を平時から考えておくかは大変重要で、政治の責任だ。有事法制は整備しろとの声の一方、強い反対もあった。備えあれば憂いなしで、国民に不安を与えない法的な面の整備と各省庁の現実の対応が必要だ。通常国会で真剣に議論し、できることから法整備を進めたい(02.1.6)。
  • ――施政方針演説。 テロや武装不審船の問題は、国民の生命に危害を及ぼし得る勢力が存在することを、改めて明らかにしました。「備えあれば憂いなし」。平素から、日本国憲法の下、国の独立と主権、国民の安全を確保するため、必要な態勢を整えておくことは、 国としての責務です。有事に強い国づくりを進めるため、有事への対応にかんする法制について、とりまとめを急ぎ、関連法案を今国会に提出します(02.2.4)。 


 

 
   



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