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【国会関与と文民統制】
規定ない「国会の責務」
かんじんの国会審議が止まったままなので、法案のもつ問題点がいっこうに深められない。論戦の停滞が法案不成立(廃案あるいは継続審議)につながる“戦略的な利点”は十分承知した上で、しかし、稀代の悪法――「武力攻撃事態法」に盛られた問題点は指摘されつづけなければならないだろう。論点の一つに国会関与のあり方がある。
法案第4条は「国は…組織及び機能のすべてをあげて、武力攻撃に対処するとともに、国全体として万全の措置が講じられるようにする責務を有する」と規定し、「地方公共団体の責務」(第5条)、「指定公共機関の責務」(第6条)、「国民の協力」(第8条)を定めている。責務、協力の内容は、国による代執行や刑事罰、罰金を含む強大なものである。ただし、そこには「国権の最高機関」国会の責務は掲げられていない。なぜなのか。考えられる理由はただひとつ。政府の裁量権を確保し、「武力攻撃が予測されるに至った事態」におけるフリーハンドを得ておくためであろう。この意図的な“国会外し”=文民統制の蹂躪は、法案がもつ“首相の戦争権限法”としての性格をもっともよく際立たせる部分だ。戦争を始める判断=「対処基本方針の作成」は国会の事後承認ででき、終結の決定=「対処基本方針の廃止」の場合も、「国会に報告する」ことですまされる。「武力攻撃予測事態」が「周辺事態と併存する場合がありうる」とみなす防衛庁長官の答弁と重ね合わせれば、その意味は重大である。自衛隊の海外派兵⇒集団的自衛権の行使が首相の手に握られることに直結するからだ。
留保付きの「国会承認」
なるほど、第9条には「国会の承認」が一応掲げられてはいる(第4項)。しかし同項末尾に「ただし、特に緊急の必要があり事前に国会の承認をもとめるいとまがない場合」にはというif clauseが附加され、事後承認の可能性を政府判断に留保しているので、これを活用すれば――当然活用するだろうが――アメリカの地域戦争に自衛隊が参加することに国会が異議をさしはさむのを妨げることにはならない。同時に、武力攻撃事態は、現行自衛隊法にある「防衛出動」と「防衛出動待機」の二つをひとまとめにした新たな有事概念であり、関連法案では出動待機の状態から「防衛召集」、「展開予定地域への進出」、「陣地の構築」などが認められる(自衛隊法改正案第77条の2)結果、自衛隊の部隊行動は国会に制約されることなく、地理的拡大のみならず活動開始の時間面でも大幅に前倒しされることになる。
しかも、この防衛出動下令前の状態において「防衛施設構築の措置の職務に従事する自衛官は、展開予定地域において当該職務を行うに際し…事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武器を使用することができる」(第92条の3)とされているので、法律解釈上からは、民有地や地方公共団体の管理地に陣地が構築されるのを拒む場合にも武器使用が認められる事態も生じる。もちろんリアリティの面では、“展開予定地域”をインド洋と読み、“防衛施設の構築”はミサイルの発射準備に読み替えるほうが自然だろうが。
国会で追求してほしいのはこれらの点である。なぜ国会の関与を制約するのか。なぜ従来なかった事前段階における範囲不定の部隊展開や対象不詳の武器使用権限を、国会抜きに行使できるのか、国会の権威と文民統制の見地から質していくことが求められる。
地方議会の意見書
長野県立科町議会が採択した「有事関連三法案に反対する意見書」(6.14)は次のように地方自治体の危惧を表明している。
――政府は、「備えあれば憂いなし」とこの法律の必要性を説明してきましたが、国会の審議で明らかになったことは、武力攻撃を受けたときの「我が国」の定義が外国の領事館や航行中の艦船も含まれる、武力攻撃の「おそれ」や「発生が予測される事態」でもこの法制が発動されるなど、日本側の武力行使の要件が際限なく拡大され、先制攻撃にも道をひらくものとなっています。
信濃町議会の意見書(6.13)も同様である。
――いまの国の動向は短兵急と言わざるをえない。地方自治体や国民の納得、理解が不十分なまま、有事関連三法案の成立が強行されるようなことがあってはならない。内容的にも手続き的にも重大な問題点を含む、有事関連三法案の制定に強く反対するものである。
6月にはいって、こうした反対・撤回要求の意見書が全国の自治体で次々と議決されている。地方の風邪に国会議員は奮起すべきである。敵失による審議停滞を喜ぶのではなく、いまこそ魯迅の言葉を思い起こそう。「水に落ちた犬を打て。道義を解さない犬は、助け上げてもまた人に咬みつくだろうから」。
(2002.6.24)
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