非表示:記者会見資料(2007年10月4日):海上自衛隊による米艦船への給油について 第2回
2021.10.22
ピースデポ調査・緊急報告
海自艦が給油した米艦はイラク作戦に使用した(第2回)
2007年10月4日 記者会見
ピースデポ代表:梅林宏道
●要約
03年2月25日に海上自衛隊の補給艦「ときわ」から給油を受けた米海軍給油艦ペコスの2月15日~3月15日までの給油活動を調査した。
ペコスは、「ときわ」給油以後、「ときわ」からのものを含め4回の給油を受け、16隻の船に対して、延べ24回の給油を行った。推定680万ガロンを受油し、推定790万ガロンを給油した。
米空母キティホークと巡洋艦カウペンスに給油した後、ペコスが次に給油した最初の船は弾薬輸送船シャスタであり、次には海兵隊の戦闘グループであるタラワ水陸両用即戦団(ARG)に給油した。いずれもペルシャ湾内における給油である。以後、調査の期間中ペコスはペルシャ湾の外に出ることはなく内に留まって受油と給油を繰り返した。
9月20日の記者会見で明らかにしたように、経過からして「ときわ」は空母キティホークへの給油を目的として給油艦ペコスに80万ガロンを給油したと考えられる。しかし仮にそれを否定したとしても、今回の調査は「ときわ」の給油した油は大部分イラク作戦に使用されたと考えざるを得ないことを示している。
テロ特措法に反する給油が行われた疑惑は、ますます濃厚になった。
イランに対する武力攻撃が危惧されている現状を考えると、過去の給油についての徹底的な解明が求められる。
●調査の方法
2004年から2006年にかけて入手した米海軍給油艦ペコス(T-AO197)の航海日誌を主として分析、艦位に関する情報を得るために米空母キティホーク(CV63)の航海日誌を援用した。
●ペコスの行動
まず、2003年2月15日~3月15日のペコスの航海日誌から日時順に場所、受油、給油の記述を読み出し表の形に整理した[資料①給油艦「ペコス」給油日誌の要約]。
<記載例> 説明のために、給油の多かった3月1日を例にとる[資料②ペコス航海日誌(03年3月1日)]。最初の記述にペルシャ湾にいることを記述している。午前4時(04:00)~午前8時(08:00)の時間枠には、洋上補給(UNREP)の事前テストをした(06:50)、洋上補給の条件設定をした(07:30)と記述されている。午前8時(08:00)~正午(12:00)の時間枠の記述(誤って2ページ目に挿入されている)には、強襲揚陸艦バターンが接近し(07:46)、左舷に並走状態になった(07:50)ことを示している。やがて、給油が終わってバターンが離れる(10:28)、とある。表では、接近と離別の期間を給油期間とした。給油量は必ず記載されているとは限らないが、この日の場合は、最後の20:00~24:00の時間枠の欄に、その日のすべての船に対する給油量を列記している。バターンに対しては、DFM(船舶用ディーゼル燃料)15,706バレル、JP-5(航空燃料)4,185バレルとある。
<航跡> ペコスは2月24日にインド洋からアラビア海に入り、25日に「ときわ」から受油し、キティホークとカウペンスに給油した。ところがその後、ペコスはまっすぐフジャイラ(アラブ首長国連邦)を目指し、8時間余りの翌朝にはフジャイラに寄港した。フジャイラで、26日の長時間を費やして、ペコスは約280万ガロンという大量の油をターミナル施設から受ける。この流れを見ると、ペコスはキティホークらに給油したことによって油の残量が少なくなった可能性がある。ということは、キティホークに給油するためには「ときわ」の油が必要であったと考えられる。つまり、「ときわ」の給油目的がキティホーク給油であったという、これまでの理解をさらに裏付ける。
ペコスは26日深夜にホルムズ海峡に向かって出港する。27日午前にはホルムズ海峡に接近中と記述され、28日にはすでにペルシャ湾内にいる。
ペルシャ湾内で最初に給油するのは、弾薬補給艦シャスタであり、次ぎに一群の海兵隊揚陸艦に給油する。タラワが指揮艦となり、バターン、ラッシュモア、ドゥルースでタラワ水陸両用即戦団(ARG=Amphibious Ready Group)に給油した。
それ以後、ペコスは3月4日にはジェベル・アリ(アラブ首長国連邦)で油を補給したり、英海軍のタンカー「オレンジ・リーフ」から給油を受けたりしながら、3月15日までずっとペルシャ湾内における給油活動を継続した。
ペコスの航海日誌には、アラビア海、ペルシャ湾などの区別を書いているだけで艦位(緯度、経度)を書いていない。しかし、キティホークに給油する地点においては、キティホークの航海日誌からペコスの位置も把握することができる。そのような方法によってペコスの航跡を描いたのが[資料③ペコスの鑑位(03年2月22日〜3月13日)]の地図であるの地図である。ペルシャ湾内の濃い影の部分は、[資料④キティホークの航跡(03年2月〜3月)]に描いたキティホークの2月27日以後の航跡に示されるように、激しい空母作戦が展開される海域である。水陸両用即戦団の場合はその性格上、一般にはよりクウェート沿岸に近い部分に展開すると思われる。
◆要点1.「ときわ」から給油を受けた後、ペコスがペルシャ湾外で給油したのはキティホーク、カウペンスの2隻のみである。ペコス自身が、以後ペルシャ湾内活動に入る。
◆要点2.キティホーク、カウペンスに給油した後、ペコスは直ちにフジャイラ港で大量の油の補給を受ける。つまり、「ときわ」の給油がなければキティホークへの80万ガロンの給油ができなかった可能性がある。
◆要点3.「ときわ」のペコスへの給油目的が、当初からキティホークへの給油であったというこれまでの解釈と一致する。
●分析
表にある通り、ペコスは「ときわ」から受油したのち、16隻の艦船に対して24回の給油を行った。それらの艦の種類を[資料①給油艦「ペコス」給油日誌の要約]の3ページ目に記載しておいた。
<艦種> どのような軍艦に対して給油したかは重要な意味をもつ。ペコスは空母キティホークとイージス巡洋艦カウペンスに一貫して給油を続けた。空母は言うまでもなく空爆を主任務とする軍艦であり、巡洋艦カウペンスは空母の対空防衛、ミサイルによる対艦・対地攻撃などの戦闘艦である。いずれもペルシャ湾内からアフガン戦争に関与することは考えにくい。水陸両用即戦団(ARG)は海兵隊員の上陸作戦を敢行したり、地上戦闘を支援する垂直離着陸機ハリアーによる攻撃を行ったりする数千人の戦闘集団であり、これもペルシャ湾内でアフガン戦争のために作戦に従事することは考えにくい。これらは、イラク戦争開戦を想定してペルシャ湾に集結した部隊と考えるべきである。
ペルシャ湾内でも「不朽の自由作戦(OEF)」があるという説があるが、その言葉には区別しなければならない2つの意味がある。第一は、米国は、サダム・フセイン政権はアルカイダと関係があると主張し、イラク戦争を始めることを合理化する理屈の一つにしていた。したがって3月20日にイラク戦争(OIF)を始める前のイラク作戦はOEFだという理屈になる。この種の作戦行動はOEFと関係がないと考えるべきものである。いっぽう、今日海上阻止行動(MIO)と呼ばれているような活動が、OEFとの関係で当時もペルシャ湾内で皆無であったとは言えないであろう。しかし、今回の調査での給油実績をみると、大部分は、やがてイラク戦争に突入するイラク作戦のための軍艦への給油であると考えざるをえない。弾薬補給艦、戦闘補給艦、高速戦闘支援艦なども然りである。
◆要点4.ペコスは、「ときわ」の油を受け取って以後、16隻の艦船に対して24回の給油を行った。
◆要点5.ペルシャ湾内でOEFと言われるものは、多くは実はイラク作戦であり、この時期ではイラク戦に連続してつながる作戦行動である。
◆要点6.仮に「ときわ」の給油がキティホークへの給油目的で無かったとしても、ペコスに渡った油は所詮ほとんどがイラク作戦に費やされたと考えざるを得ない。
◆要点7.テロ特措法に違反する給油が行われたという疑惑が、ますます濃厚である。
<油量> 同一船に対して何回も給油している時の給油量を比較すると[資料⑤繰り返し給油艦への給油量(03年2月15日〜3月15日。給油艦「ペコス」から)]に見られるように、給油回ごとに大きな差はない。また同種の艦への給油量はほぼ似通っていると思われる。そこで、油量の記録がない場合の給油量を、他の給油例から粗く推定することができる。また、ジェベル・アリにおける受油量は、フジャイラの場合と供給速度が同じであると仮定すると、補給のためのポンプを回している時間の長さに油量が比例するとしてフジャイラでの補給量から推定することができる。フジャイラでは補給ポンプの回っている時間が8時間40分であったのに対して、ジェベル・アリでは5時間3分であった(表の給油開始時間ではなく、別にポンプ開始時間が記録されている)。
このような推定の結果、「ときわ」給油後にペコスに渡った油は、「ときわ」の分も含めて推定680万ガロンであり、ペコスから他艦に給油された量は790万ガロンである。つまり、「ときわ」が供給した油量の10倍近い油をペコスは大部分ペルシャ湾内で使ったのであり、日本の油だけを別扱いにすることなど、ほとんど考えられない状況であることが分かる。
また、「ときわ」以前のものも含めると2月15日~3月15日の1か月間に、ペコスは推定約1010万ガロンの油を供給している。
◆要点8.「ときわ」からの給油以後、ペコスは約680万ガロンを受油し、約790万ガロンを給油した。ペコスは「ときわ」からのものの10倍近い量を給油している。
◆要点9.1割に過ぎない日本からの油を別扱いにすることは現実離れしており、圧倒的多くの他の油の一部になるだけである。
◆要点10.今後、イランへの軍事行動が同じ海域で展開される可能性もあり、目的限定の給油という考え方には無理がある
●日本の情報
公開航泊日誌の廃棄問題に、緊急に政治のメスをいれて欲しい。
現在のルール:「最後の記載をした日から1年間艦船内に備え置き、その後3年間当該艦船の在籍する地方総幹部に保存するものとする。」
2003年3月のものは、2007年3月末に保存期間が切れるが、「年末処分」と聴いたことがある。議員の立ち入り調査を求める。開示請求に対して不開示を決定した文書を廃棄するのは許されるか
●資料リスト
5.[資料⑤繰り返し給油艦への給油量(03年2月15日〜3月15日。給油艦「ペコス」から)]