非表示:記者会見資料(2006年11月2日):横須賀母港の米イージス艦による弾道ミサイル防衛

2021.10.29

記者会見資料(2006年11月2日):横須賀母港の米イージス艦による弾道ミサイル防衛―2006年7月5日の北朝鮮ミサイル発射時にどう動いたか

2006年11月2日 記者会見
ピースデポ代表:梅林宏道

要旨

 ピースデポでは、長期にわたって米海軍内部文書の調査を行ってきたが、1昨年から横須賀を母港とするイージス艦の弾道ミサイル防衛任務に関する調査をテーマの一つとした。その一環として、2006年7月5日の北朝鮮のミサイル発射実験の際の第7艦隊の行動を分析した。ここでは司令官「年次報告」と航海日誌の調査結果をまとめる。

「年次報告」の記述は、米ミサイル防衛庁長官の議会証言(05年3月15日)通り、2004年10月1日から行われたイージス艦の日本海パトロールは、北朝鮮の弾道ミサイル攻撃を想定した米本土の限定防衛作戦(長距離監視・追跡任務)であることを立証した。カーチスウィルバーがその任務の1番艦であり、フィッツジェラルドが2番艦であると明記された。当該司令官がパトロール任務の目的を明確に記述した文書は初めてである。

横須賀母港のすべてのイージス艦の航海日誌を調査した結果、カーチスウィルバー、フィッツジェラルド、ジョン・S・マッケイン(以下「マッケイン」)の3艦が、7月5日の北朝鮮ミサイル発射実験に関連してBMD任務に就いたことが明らかになった。その際、日本海と太平洋の各1カ所に、BMD作戦区域を設定していたことが初めて判明した。作戦区域は米国のXバンドレーダーが配備された車力通信基地を挟んでほぼ直線上に位置され、日本海作戦区域は松前半島(北海道)西岸から約285km西方に、太平洋作戦区域は久慈海岸(岩手県)から約270km東方にある。いずれも直径約30kmの極めて狭い海域にイージス艦は待機した。期間は約3週間にわたったが、発射実験の翌日深夜には任務を終了した。このように、BMD任務時のイージス艦の配備位置と期間が特定されたのは初めてである。

BMD任務についたイージス艦を、本州の北端において本州をまたいで配置した布陣は、議会証言や年次報告で述べられている米本土防衛のためのミサイル防衛という考え方をまっすぐに裏付けるものである。とりわけこの布陣は、米軍としては北朝鮮の「テポドン2」ミサイルがハワイに向かう可能性を想定した布陣であったと理解することができる。

 横須賀を母港としながら米本土の直接防衛任務についている米軍の作戦行動は、まったく新しい性質のものであり、日米安保条約には規定されていない。国際法の支配の観点から正面から議論されなければならない。

調査方法 

  米海軍歴史センター(ワシントンDC)に対して閲覧請求をし、閲覧しながらメモをとり、必要部分をコピーした。今回の分析にかかわるものは、昨年の11月から今年の10月にかけて調査した。今回発表の航海日誌は10月に調査したものである。

 司令官「年次報告」は、軍艦の過去1年の主たる活動や出来事を要約的に記載している。司令官に義務づけられているにもかかわらず、提出されずに欠番のある船が多い。

 航海日誌には、1日に3回(8:00、12:00、20:00)、艦船の緯度、経度が記録されている。その他、操船上の情報、他艦との接触、艦内の事故などの記述がある。

年次報告
 
 カーチスウィルバーとフィッツジェラルドの2004年「年次報告」が入手できた。

 カーチスウィルバーの年次報告は、この艦が米海軍の最初のBMD艦になるために周到な準備が行われたことが記述されている[添付1.カーチス・ウィルバーとフィッツジェラルド年次報告(抜粋役年次報告(抜粋訳)]に抜粋訳。[添付2.カーチス・ウィルバー年次報告原文抜粋]に原資料抜粋)。新装備の設置、教義の確立、訓練など新しい領域を開拓したと述べている。そして、04年10月1日からの任務は、「合衆国の防衛のために(in defense of the United States)改修したSPY-1Dレーダーを北朝鮮上空に向かって照射した」と書いている。

また、フィッツジェラルドは04年9月に横須賀を母港とするために移ってきたが、その年次報告([添付1.カーチス・ウィルバー「司令官年次報告・2004年」]に抜粋訳。[添付3.フィッツジェラルド年次報告原文抜粋]に原資料抜粋)は04年1~3月に前母港のサンディエゴにおいてBMD能力を得る改修を行ってきたことを述べている。そして、日本海パトロールについては「国土BMD(national BMD)限定防衛作戦に参加する2番目の船になった」と記録している。

年次報告のこれらの記録は、05年3月に行われた米ミサイル防衛庁(MDA)長官オベリング3世中将の議会証言にぴったりと符合する。つまり、オベリング3世は「北朝鮮の長距離ミサイルの脅威に対して合衆国の限定的な防衛」を目指し、「戦闘管理システムに長距離監視・追跡データを提供するため」日本海パトロールをしていたと証言した([添付4.オベリング3世議会証言(抜粋訳)]に抜粋訳)。

実際の任務を行った艦の司令官が1年の記録としてこの事実を裏付けたことによって、日本を拠点にした米本土の直接防衛作戦が実際に実行されていることが証明された。その1番艦と2番艦の艦名も明らかになった。(因みに我々が行ったそれ以前の調査によって、3番艦はマッケインであったことが判っている。)

 この基礎的任務が、06年6月~7月のいわゆる「テポドン2」ミサイル発射のときにも当然遂行されると考えるべきであろう。

航海日誌

(1)航跡
 6月10日に、修理中のステザムを除いて、すべてのイージス駆逐艦はキティホーク空母打撃団の一員として横須賀を出航し、グアム近辺の海域を目指した。6月11日のフィッツジェラルドの航海日誌に、キティホーク、カウペンス、カーチスウィルバー、ラッセン、マッケインが一緒に日本近海にいることが記されている[添付5.フィッツジェラルド航海日誌(2006年6月11日)]。記述中「Sea of Japan」とあるのは誤解)。

 最初に、BMD任務が記されるのはフィッツジェラルドである。同艦が舵の故障で横須賀に戻り、再出港した直後(6月14日14:25)に、航海日誌の行き先欄に「横須賀からBMDへ」と記された([添付6.フィッツジェラルド航海日誌(2006年6月14日)]。その後フィッツジェラルドは津軽海峡を抜けて日本海に直行し、6月16日に後に定義するBMD日本海作戦区域に入った。それ以後、北朝鮮ミサイル発射の翌日深夜までその作戦区域に(しばしば全エンジンを停止して)停留し、7月7日早朝にそこを離れて横須賀に帰港した。21日間作戦区域に滞在したことになる。航海日誌の緯度・経度を地図に落とし、航跡を図示した([添付7.フィッツジェラルド航跡図]

カーチスウィルバーの航海日誌では、フィッツジェラルドから1日遅れの6月15日午後に「FDM(ミクロネシア連邦)作戦区域からBMDへ」という記述が初めて登場する([添付8.カーチス・ウィルバー航海日誌2006年6月15日])。おそらく同時期に命令を受けたものと思われる。6月18日3:20に「BMD作戦区域(この場合BMD BOXと書いている)に入る」と記述される([添付9.カーチス・ウィルバー航海日誌(2006年6月18日)])が、その場所は、後にBMD太平洋作戦区域と定義する場所である。カーチスウィルバーはそこに6月25日までとどまる。興味深いことに、同艦は6月26日、「BMDから新BMDへ」と記して移動し([添付10.カーチス・ウィルバー航海日誌(2006年6月26日)])、津軽海峡を横切って日本海作戦区域に入る。そして、7月6日までそこで任務に就き翌朝横須賀に向かう。航跡は[添付11.カーチス・ウィルバー航路図]に示した。

マッケインは、カーチスウィルバーが太平洋作戦区域を離れて日本海作戦区域に向かうのとピッタリ入れ替わりに、太平洋作戦区域に到着する。それまではグアム近海で演習していた。最初の記述は、6月24日早朝の「グアム作戦区域から津軽海峡入口へ」というものである([添付12.ジョン・S・マッケイン(2006年6月24日)])。6月26日に作戦区域に入り(マッケインの航海日誌ではこの作戦区域をしばしば「津軽海峡」あるいは「津軽海峡入り口近辺」と記している)、7月7日早朝に横須賀へ向かった。航跡は[添付13.ジョン・S・マッケイン(DDG56)航跡図]に示した。

カーチスウィルバーとマッケインは交代で19日間、BMD太平洋作戦区域の任務に就いたことになる。

 ラッセンはBMD作戦に参加しなかったことが、航海日誌から判明した。グアム海域から佐世保に向かい、まだ北朝鮮のミサイル発射が行われていないにもかかわらず、7月1日に佐世保から横須賀に帰港し、7月8日まで横須賀に停泊した。

 見やすくするために、これらの情報を別表「北朝鮮ミサイル発射実験へのMD任務航海記録」にまとめた([添付14.4艦の航海日程表])。

2)作戦区域
 航海日誌に記された緯度、経度をプロットすることによって、それぞれの船が極めて限定された狭い海域に停留してBMD任務に就いていることが分かる。また、そのような場所は「BMD作戦区域(Station、Box、MODLOCなどの言葉が使われている)」と記述されている。この場所を特定するために、時期を分けて3種類の拡大航跡図を描いた。

 拡大航跡図Ⅰ([添付15.拡大航跡図Ⅰ])は、フィッツジェラルドとカーチスウィルバー2隻だけが任務に就いている期間の図である。拡大航跡図Ⅱ([添付16.拡大航跡図Ⅱ])は、マッケインが加わって3隻が任務についてから、7月5日5:00に「テポドン2」と呼ばれているミサイルが発射されるまでの時期の図である。そして、拡大航跡図Ⅲ([添付17.拡大航跡図Ⅲ])は、「テポドン2」ミサイル発射確認から任務終了までの短い期間の図である。

 まず、拡大航跡図Ⅰ、Ⅱから2つのきわめて集中した作戦区域を定義することができる。図では重なりが分かりにくいが、ほぼ20日間の航跡が重なっていることを考えれば、重なりの程度を理解できるであろう。図Ⅰの太平洋側や図Ⅱの日本海側で、ときどき集中海域からはずれた航跡が認められるが、それらは洋上補給を受けるなどの必要があって定点を離れたものである。

1. BMD日本海作戦区域 北緯41度28分、東経136度32分を中心とする半径約30kmの海域。松前半島(北海道)西岸から約285km西方にあたる。ロシアとのEEZの境界となる中間線に極めて近い。

2. BMD太平洋作戦区域 北緯40度12分、東経145度00分を中心とする半径約30kmの海域。久慈海岸(岩手県)から約270km東方にあたる。
また、7月5日午前5時頃の「テポドン2」発射直後に、図Ⅲのように、日本海での展開の中心を約40km東に移動させたことが判明した。その中心場所は北緯41度25分、東経137度00分である。これは何かの事後対策と考えられる。

日本海作戦区域と太平洋作戦区域は、米軍のXバンドレーダーが配備された車力通信基地(青森県)を挟んで、ほぼ直線上に位置している。車力との距離は、前者が約320km、後者が約400kmである。車力基地のXバンドレーダーは、日米間の米軍再編協議で合意され、米軍がBMDのために設置し、予想された北朝鮮のミサイル発射に備えて6月に前倒し運用を開始したと伝えられたものである。

 

(3)7月5日当日の記録
 航海日誌本来の目的ではないので、7月5日の北朝鮮のミサイル発射そのものに関したBMD活動についてはほとんど記述していない。しかし、フィッツジェラルドには、午前5時、つまり3番目のミサイル発射時刻であり、いわゆる「テポドン2」ミサイルが発射された時刻に、次のような興味深い記述があった([添付18.フィッツジェラルド航海日誌(2006年7月5日)]

05:00 赤外線(IR)データを受信した。
05:03 北朝鮮のミサイルが発射された。
05:04 ミサイルは発射後40秒に爆発した

 これらは、衛星などとのデータリンクによって、イージス艦が現場で得ていた情報として興味深い。

(4)自衛隊との接触
 調査した航海日誌には、自衛隊の補給艦「はまな」(AOE424)とイージス護衛艦「こんごう」(DD173)と接触したことが記録されている。

 補給艦「はまな」はカーチスウィルバーに2度にわたって洋上補給を行った。1度目は、太平洋作戦区域から日本海作戦区域に移る前日の夕刻18:44から21:59の3時間にわたって行われた([添付19.カーチス・ウィルバー航海日誌(06年6月25日)])。航海日誌には「RAS with HANAMA」(RAS=Replenishment at Sea)と記載されているが、HANAMAはHAMANAの誤記である。文中に自衛艦(JDS)という記述もある。

 2度目の補給は、6月27日日本海作戦区域において18:54から20:51の2時間にわたって行われた。これらの補給はACSA協定との関係で違法性が調査される必要がある。

イージス艦「こんごう」はカーチスウィルバーと日本海作戦区域において6月20日早朝に接触した。舟艇によってマドット・オペレーション専門主任(OSC Madott。OSC=Chief Operations Specialist)を「こんごう」から移動させた([添付20.フィッツジェラルド航海日誌(06年6月20日)])。

05:39 舟艇デッキに人員配置、準備完了。
05:40 「サーベル」、水面に。「サーベル」、艦側にある。(「サーベル」は舟艇名か型名)
05:44 「サーベル」、離れる。
05:51 「サーベル」、OSCマドットの移動のために「こんごう」(艦173)に向かう。
05:56 「サーベル」、「こんごう」の艦側につく。
05:59 「サーベル」、(「こんごう」から)離れた。
06:05 「サーベル」、艦側につく。
06:07 「サーベル」、レールに乗る。OSCマドットが乗艦。
06:09 「サーベル」、スキッドに入る。

これは、「こんごう」がカーチスウィルバーと緊密に連携して動いていることを示す具体的な例である。自衛隊がマンツーマンでオペレーションの技術的な訓練を受けていたと思われる。

まとめ分析

 もっとも関心のある分析点は、日本海作戦区域と太平洋作戦区域の設定根拠に関するものである。地理的な位置関係だけで断定的な結論を出すことはできない。しかし、米国のミサイル防衛庁長官の議会証言(2006年春にも、オベリング3世長官は2005年証言をフォローアップする証言を行っている)を具体的に裏付けたカーチスウィルバーとフィッツジェラルドの「年次報告」の記述と、航海日誌が示すイージス艦の作戦行動が当然にも密接につながっていることを勘案すると、今回の調査で確度の高い分析を行うことができる。

 諸情報を図示した「まとめの図」を作成した([添付21.まとめの地図])。また、北朝鮮の「テポドン」ミサイル発射基地・舞水端里からの最短軌道を表す大圏コースを描いた地図を添付する([添付22.北朝鮮からの大圏コース])。

(1)コース
 まず、米国防衛の観点から考えたとき、大枠において日本海と太平洋にもうけられた2つの作戦区域はハワイ防衛のための布陣と考えることができる。3つのレーダーが連携してハワイに向かう大圏コースをカバーしている。

 任務に就いた3隻のイージス艦は現在のミサイル迎撃能力をもっておらず、長距離監視・追跡の任務に就いている。重要なことは、これが米本土ミサイル防衛のデータ供給源として、全体の戦闘システムにしっかりと組み込まれている(オベリング3世の証言。添付4)ことである。今回の布陣では車力のXバンドレーダーが、極めて高性能のミサイル識別能力をもっていることから、その能力を補うために、できるだけ長時間にわたって追跡情報を車力に供給するため日本海と太平洋に配備したと考えられる。

1998年の「テポドン1」ミサイルの飛行軌跡も重要な参考にしたであろう。このときと同じように、人工衛星発射の試み(あるいはそれを装った長距離ミサイル実験)をするとすれば、軌道は南に湾曲する可能性がある。

(2)位置
 また、万一、米国西海岸に向かうこともあることも考慮すると、日本海においてはできるだけ西方への配備が望ましい。しかし、ロシアとの中間線を考えると、今回の場所が、日本海作戦区域設定の限界であったのであろう。太平洋作戦区域は車力からちょうど400kmのところでありレーダーの性能上の理由があったのかもしれないが、解明できていない。

これらの考察とは別に、迎撃シミュレーションという観点からも、今回の作戦区域を分析しておく必要がある。すでに述べたように、現在のところ長距離監視・追跡の能力しか持っていないが、イージス巡洋艦シャイローはすでに迎撃能力をもって横須賀に配備されている。今回の3隻のイージス駆逐艦の一部も、年内にも迎撃能力を持つとの報道がある。北朝鮮のミサイル発射を訓練チャンスととらえ、迎撃シミュレーションを行おうとした可能性もある。その場合、MDの常識として、1段目ロケットが減速して2段目ロケットが噴射する時期、2段目ロケットが減速して3段目が噴射する時期が迎撃のチャンスである。この要素も勘案して位置が決定された可能性がある。

(3)法の支配
 日本の本州の北端において、本州をまたいで、車力のXバンドレーダーと結んでミサイル防衛にあたる今回の布陣は、ハワイを含めた米本土の直接防衛を主眼とした布陣と考えざるを得ない。副次的に日本の防衛にもなるという言い訳は、ためにする議論のように思われる。米議会証言も含めて認めていることを、別の解釈もあり得ると抗弁する議論は説得力を持たない。

 在日米軍が、日米安保条約の第5条(日本本土防衛)、第6条(極東条項)で定められた条約上の制約を守っていないこと、日本政府がそれを歯止めなく許してきたことが、しばしば問題となった。その際、これまでは日本の基地がアフガン、イラク、ペルシャ湾などに展開する前線攻撃基地、兵力供給基地として使われることが主たる争点であった。

今回の事態は、それとは違ったものである。米本土を直接防衛するための基地として、在日米軍基地が使われる事態であり、まったく新しい事態である。軍隊、とりわけ他の独立国の領土を使う外国軍隊は、厳密に法の支配のもとに置かれなければならない。それがシビリアン・コントロールの基礎である。

 今回の調査結果の示すところは、行政や立法府が見逃してはならないものであると考える。

 北朝鮮の核実験の結果、米軍に不都合なことは言うべきでないとする空気があるが、このような時こそ、軍が法の支配の下に置かれることの大切さを確認する必要がある。

添付文書リスト

1.[添付1.カーチス・ウィルバーとフィッツジェラルド年次報告(抜粋役年次報告(抜粋訳)]

2[添付2.カーチス・ウィルバー年次報告原文抜粋]

3[添付3.フィッツジェラルド年次報告原文抜粋]

4[添付4.オベリング3世議会証言(抜粋訳)]

5[添付5.フィッツジェラルド航海日誌(2006年6月11日)]

6[添付6.フィッツジェラルド航海日誌(2006年6月14日)]

7[添付7.フィッツジェラルド航跡図]

8[添付8.カーチス・ウィルバー航海日誌2006年6月15日]

9[添付9.カーチス・ウィルバー航海日誌(2006年6月18日)]

10[添付10.カーチス・ウィルバー航海日誌(2006年6月26日)]

11[添付11.カーチス・ウィルバー航路図]

12[添付12.ジョン・S・マッケイン(2006年6月24日)]

13[添付13.ジョン・S・マッケイン(DDG56)航跡図]

14[添付14.4艦の航海日程表]

15[添付15.拡大航跡図Ⅰ]

16[添付16.拡大航跡図Ⅱ]

17[添付17.拡大航跡図Ⅲ]

18[添付18.フィッツジェラルド航海日誌(2006年7月5日)]

19[添付19.カーチス・ウィルバー航海日誌(06年6月25日)]

20[添付20.フィッツジェラルド航海日誌(06年6月20日)]

21[添付21.まとめの地図]

22[添付22.北朝鮮からの大圏コース]