【核禁条約交渉2】日本の「交渉不参加」は被爆者と国際社会への背信――「核の傘」から「非核兵器地帯」へ

公開日:2017.08.01

 3月27日、禁止交渉会議への不参加を宣言した高見澤将林国連軍縮大使の演説(原文英語)の抜粋訳を7ページの資料に示す。そこで展開された論理は従来の主張の繰り返しであり、新味はない。しかしこの歴史的機会に日本が表明した態度を記録と記憶にとどめるために掲載する。
 演説の大意を要約すれば次のとおりである。
①核兵器廃絶のためには、人道と安全保障の両方の認識が必要だ。「禁止条約」アプローチには北朝鮮の核の脅威に代表される安全保障課題への深刻な認識が欠落している。
②核軍縮の前進のためには核兵器国の関与が不可欠であるにも拘わらず、この会議には核兵器国は参加していない。
③求められているのは、包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効、FMCT交渉の開始などの実際的・具体的措置の蓄積である。このようなアプローチの方が「禁止条約」より役に立つ。
④核兵器数が極めて少ない「最少化地点」が手に届くようになったら「禁止条約」を考えることができる。
⑤結論として現在の状況では、日本がこの会議に建設的かつ誠意をもって参加することは難しい。 
 この演説を残して日本代表は議場を後にし、二度と戻ることはなかった。

被爆者と国際社会の期待を拒絶

 同じ日の朝、被爆者代表として登壇した藤森俊希氏(日本被団協事務局次長)は、自身の体験を交えながら「(原爆投下から)3月27日までの2万6166日間」にわたって被爆者が背負ってきた苦難の現実を語り、それゆえに、禁止条約交渉に反対する日本に「心が裂ける思いで」この日を迎えたと話した(注1)。
 その約2時間後に登壇した高見澤大使が被爆者のこの想いをあらためて拒絶したのである。
 「禁止条約交渉」を決めた昨年の国連総会決議71/258に反対した日本は、それでも「交渉に積極的に参加し」、「唯一の被爆国として、そして核兵器国、非核兵器国の協力を重視する立場から、主張すべきことはしっかりと主張していきたい」(16年10月28日、外相記者会見)との考えを示していた。しかし外相は高見澤演説をもって「会議には参加したが、交渉には参加しなかった」(17年3月28日、同)と話した。さらに被爆者の声と政府見解のギャップについて問われた岸田外相は次のように答えた。「(被爆者の思いは)大変貴重なものであり、重たいものがある」、「その声を受けて、政府として現実的な結果を出すためにはどうあるべきなのか、これを真剣に、十分に検討した結果、政府の対応を決定した」。外務大臣の言葉に誠意は感じられない。何を「真剣に、十分に検討した」のか、まったく内容が見えない。
 被爆者の苦難と胸中への想像力があるなら、日本政府に求められたのはまず被爆を二度と繰り返さないために現実政治が果たすべき役割への熟慮であったはずだ。しかし、「核の傘」を必要としない政策について熟慮するどころか、高見澤・岸田両発言を支配しているのは核の傘への無批判な依存方針であった。
 百歩ゆずって「核依存政策」をただちに放棄はできないとしても、それを相対化し、克服する意思が少しでもあれば日本は会議に参加して有用な貢献をすることができたはずである。27日、オーストリア大使は、議場の外で交渉反対声明を発した米国連大使らに向けて、「国々や人々の安全を損ないたいと思っている者など、この会場には誰もいない」と対話への参加を訴えた(前号参照)。もし日本政府が、「核の傘」に依存しない安全保障について熟慮していたならば、会議に参加してオーストリア大使の訴えに対して噛み合った形で対話を続けることができたはずである。
 昨年の国連総会で日本が提案した「核軍縮決議」2(以下「日本決議」)は167か国の支持を集めた。いうまでもなく支持国には交渉会議を主導するオーストリア、メキシコ、アイルランド等も含まれている。しかし、これらの国々が日本政府の方針に積極的に賛成票を投じたと理解すべきものではない。内容に不満があっても「日本決議」の背後には被爆者や広島、長崎の自治体や幅広い被爆国の市民の声がある。これらの世論への敬意と期待として、賛成票が投じられていると考えるのが妥当であろう。
 逆に言えば、私たち日本の市民は、日本政府の政策転換をもたらすことができない限り、このような国際社会の敬意や期待に応えることができない。

「最少化地点」論の欺瞞

 高見澤演説は「最小化地点」という概念を使って、核兵器禁止条約を検討しうる条件について述べた。<すべての国がこのような努力を積み重ねた後に、核兵器の数が極めて少ない『最少化地点』に到達することが期待される。この地点が手に届くようになって初めて、効果的で意味ある法的文書を作成することができる>(大意)。大使が「このような努力」として例示したのは次のような措置である。①国家間の信頼醸成、②2国間・多国間の核軍縮、③地域的課題解決による核保有の動機の除去。
 この正論に誰も反対しない。しかし、日本政府は何をしてきたというのか。何一つこれらの努力をしてはいない。だから、今日の行き詰まりがあり、法的拘束力のある「禁止規範」の確立という努力が始まった。
 日本は、憲法をないがしろにして日米安保協力を強化し、米中、日中の不信を増幅し、北東アジアの緊張を緩和するどころか、ひたすら北朝鮮の孤立化を図り、同国の「核保有の動機」をいっそう助長してきた。ミサイル防衛によって中国の核戦力強化を誘ってきた。
 具体的な行動を伴わない「最少化地点」論は、核兵器国のサボタージュと同じであり、問題を先送りする欺瞞的な議論でしかない。

市民に問われる政策転換の道

 前述の「日本決議」には「関係加盟国が核兵器の役割や重要性の一層の低減のために、軍事・安全保障上の概念、ドクトリン、政策を継続的に見直していくことを求める」との一節があった。
 日本の市民は、日本政府にこの「見直し」を迫るべきである。北朝鮮の核の脅威を口実にして何もしない現状を許さず、その現実から出発して北朝鮮の核もアメリカの核も否定する地域の安全保障の仕組みを議論する手掛かりがここにある。
 「北東アジア非核兵器地帯」は、安全保障における核兵器の役割を縮小させる具体的構想である。現今の朝鮮半島情勢はこれがまさに喫緊の課題であることを示している(トップ記事参照)。今こそ日本社会のあらゆる階層、分野で議論を深め拡大する努力を強めようではないか。(田巻一彦、梅林宏道)


1 演説全文は日本原水爆被害者団体協議会(被団協)ウェブサイト。www.ne.jp/asahi/hidankyo/nihon/seek/img/170327_uttae_Fujimori.pdf
2 「核兵器の全面的廃絶に向けた、新たな決意のもとでの結束した行動」(A/RES/71/49)。本誌509号(16年12月1日)に主文全訳。