【北朝鮮が4回目の核実験】  
第3回実験と類似した現象、「水爆」の主張には疑問  ――事実関係と専門家の分析を整理する

公開日:2017.07.24

1月6日午前、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国、以下DPRK)が核実験を行った。最大限の非難に値する暴挙である。DPRKは、これを「水爆実験」だと呼んだが、この主張は誇張されたものであると多くの専門家は分析している。しかし、DPRKが核兵器開発を継続し、試行錯誤を重ねていること、その一局面として1月6日の実験があったことは確実と思われる。同国の核兵器開発の現段階と、そこに込められたDPRKの政治的意図の理解の助けとするために、事実関係と専門家の指摘を整理しておきたい。


地震観測結果

 16年1月7日、包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)準備委員会(ウィーン)1は、「1月6日の協定世界時1時36分(日本標準時10時36分)、CTBTO検証システムが、北朝鮮(DPRK)の核実験によることが確実と思われる地震を検出した」との声明を発した。
 地震を最初に観測にしたのは、CTBTOの国際監視制度(IMS)に参加する、27の地震監視観測所であった。最も震源に近い観測所はウォンジュ(原州、韓国)及びウスリスク(ロシア)であり、最も遠方の観測所はラパス(ボリビア)であった。地震規模は当初マグニチュード4.9と推定されたが、その後4.85に修正された。震源は、DPRKが過去に核実験を行った北東部の豊渓里(プンゲリ)のごく近くと推定された。地震波形は13年2月12日の核実験(この時CTBTOは地震強度をマグニチュード5.0と確定)と酷似している。1月8日のCTBTO「改訂事象報告(REB)」は次のように結論づけた。「事象は人工的爆発以外にはありえない。しかしこれが核爆発であるか否かは、空中放射能の分析を待たねばならない。」(強調筆者)
 一方、IMSには加わっていないが実験場所に最も近い中国・牡丹江(ムダンジャン)の米中共同運営の地震観測所の観測結果では、地震強度はマグニチュード5.1であった。この数値からは、核爆発は7~16キロトンに相当すると推定される2
 地震観測結果は、06年10月9日、09年5月25日、13年2月12日に次ぐ4回目の核実験が行われたことを強く示唆している。「空中放射能」は第1回(06年)の時には実験の約1週間後に検出されたが、第2回(09年)においては1度も検出されず、第3回(13年)では実験後55日後にようやく検出された。今回は1月28日現在検出されたとの発表はない。

「水爆」は誇張と専門家

 1月6日、DPRKは、「チュチェ105年3(2016年)水曜日10:00、最初の水爆実験を成功裏に実施した」との声明を発した4(4ページ・資料1。強調筆者)。声明はさらに、核抑止力は「米国主導の敵対勢力による核脅威と脅迫から国家の主権と民族の生存に関わる権利を断固として守り、朝鮮半島の平和と地域の安全を確保する」ための自衛手段であると強調した。
 各国政府と議会、広島市、長崎市をはじめとする自治体、国際NGOはただちに抗議声明を発した。国連安保理は緊急会合を開き、非難決議の検討を始めた。5ページ以降には、国際的反響の例として、核軍縮・不拡散議員連盟(PNND)のウェブ記事(5ページ・資料2)、世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会の声明(5ページ・資料3)、及び日本の国会で採択された抗議決議(6ページ・資料4)を掲載する。
 一方、「水爆実験」というDPRKの主張は強く疑問視されている。「水爆」は、原爆の爆発(第1段階)によって、重水素と3重水素の核融合反応(第2段階)を起こす「2段階熱核爆弾」であり、原爆の数百から数千倍の爆発力を持つ。地震波の観測結果などを考えればDPRKの主張は極めて疑わしいと多くの専門家が指摘している。
 牡丹江で検出された地震の強度・マグニチュード5.1とそこから推定される爆発威力は、前回核実験(13年2月)とほぼ同じであり、「水爆」とは考えられない。爆発したのが「ブースト型原爆」である可能性もあるが確証はない5。「ブースト型原爆」とは少量の核融合物質によって爆発力を増強された原爆であり、原爆の小型化には有用だといわれている。DPRKが最近試みているSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)実験との関係を指摘する専門家もいる6
 いずれにしても、DPRKが核兵器能力向上の試行錯誤を継続しており、その一局面として1月6日の実験が行われたことは確実と思われる。

13年~15年の主な経過

 3ページのコラムに、13年から15年までのDPRKの核・ミサイルを巡る日誌をまとめた。
 13年2月12日、DPRKが核実験を行ったことに対して、国連安保理は3月7日、非難・制裁強化決議を採択した。DPRKは3月9日「外務省報道官声明」で、同決議は「我々を武装解除させようとするもの」だと反発した。3月1日には米韓合同演習「フォウル・イーグル」が開始され(4月23日まで継続)、3月9日には同じく「キー・リゾルブ」(3月21日まで)が開始されるという中での応酬であった。そして、13年4月1日、DPRKは「核兵器国地位確立法」を公布する。
 14年にも2つの米韓合同演習が行われた(2月24日開始)。この期間中にDPRKは、ノドン・ミサイルを発射(3月26日)するとともに、「新たな形態における核実験」を示唆(3月30日)した。
 15年1月9日、DPRKは「米韓が合同演習を中止すれば、核実験を凍結する」と提案。この提案を米国は黙殺、米韓合同演習は前年と変わらず実施された。1月22日、オバマ米大統領が、インタビュー(14年11月の映画会社へのサイバー攻撃が主題)でDPRKを「世界で最も孤立した冷酷非情な独裁国家」と呼んだことに、北朝鮮は2月4日「米国の敵視政策に強力な反撃を行う」、「米国との交渉はもう必要ない」と非難する。
 15年8月20日には南北が軍事境界線をはさんで砲撃を応酬するという事態が発生している(伏線には8月5日の地雷爆発事件があった)。9月14日、25日には、DPRK当局者から人工衛星発射と4回目の核実験を示唆する発言がなされた。そして12月10日には、「水爆を爆発させる能力がある」との金第1書記の言葉が報じられた。
 16年には朝鮮労働党大会が36年ぶりに開催される。今回の核実験には、歴史の節目をとらえた国威発揚という側面もあると思われる。

DPRKから和解提案も

 DPRKが核実験を正当化する論理は、一連の公式声明で繰り返されたように、米韓合同演習に象徴される「米国の敵対行為」に対する「自衛行為」だというものである。一方で、北朝鮮の側からは「和解」に向けた発言や声明も、しばしばなされてきた。
 14年6月30日、DPRKは韓国に対して、「『7.4共同声明』を想起して、互いに敵対行動や誹謗中傷を止めよう」と呼びかけた。14年の国連総会では、李外相が、「米国の敵対行動が完全に止まれば、核問題は解決する」と演説した(14年9月27日)。また、15年1月9日には、前記のように米韓合同演習中止を条件に核実験凍結もありうると提案している。そして15年10月1日の国連総会で、李外相は、「米国が朝鮮戦争休戦協定を平和協定に変えることに同意すれば、建設的な対話をする用意がある」と演説した。
 全体的には、「核抑止を獲得する過程と獲得した核抑止の両方をカードにしつつ、政治体制への脅威の除去と関係の正常化を達成する」7という、DPRKの基本的外交姿勢は変わっていないと考えられる。(田巻一彦)


1 www.ctbto.org/
2 ジェフリー・パーク「北朝鮮からの地震波は2013年核実験が再現されたことを示唆」、「核技術者技報」(BoAS、電子版。英文)、16年1月7日。
3 金日成(キム・イルソン)が生まれた西暦1912年を元年とする記年法。1997年から使われている。
4 1月6日「朝鮮中央通信」(英語版)。
5 2と同じ。
6 チャールス・D・ファーガソン「北朝鮮の4回目の核実験は何を意味するのか」全米科学者連盟(FAS)「戦略安全保障ブログ」(英文)、16年1月8日。
7 長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)刊「提言 北東アジア非核兵器地帯設立への包括的アプローチ」、第1章「北東アジアにおける核兵器依存の現状」。