【ピースデポ第17回総会記念講演会 抄録①】  
講演「日米関係と日本の核政策―歴史からの問い」(上)    西崎 文子(東京大学大学院総合文化研究科教授)

公開日:2017.07.24

2016年アメリカ大統領予備選挙から見えるもの

 アメリカでは今、大統領選挙がニュースを賑わせています。共和党は「悪名高き」トランプ、ティーパーティ運動のクルーズ、穏健派と言われるルビオ、こういった方々が乱立して、どちらかというと品の悪い選挙戦を戦っています。ジェブ・ブッシュは今日、サウスキャロライナで苦戦し撤退の姿勢を明らかにしました。他方、民主党はヒラリー・クリントンが確実と言われていましたが、ふたを開けてみるとサンダーズがクリントンを追い上げている。
 ここで私が問題にしたいのは、こういった候補が掲げる外交政策は一体どういったものなのかということです。特に核軍縮とか軍事力によらない平和を求める人にとって、彼らはどういう役割を果たすのか。
 共和党はトランプがイスラム教徒を入国させないとか、ヒスパニックに対しても非常に差別的な排他的な言葉を重ねていますし、クルーズはISIS(イスラミック・ステート)を絨毯爆撃すると言って憚らない。ルビオや撤退したブッシュも姿勢としては非常にタカ派です。彼らの外交のアドバイザーはそろって、ウォルフォビッツとかクリストルとか、いわゆる「ネオコン」の人たちなのです。
 民主党では、クリントンは第一期オバマ政権の国務長官を務めたのでオバマと比較的近いのですが、オバマ大統領よりは軍事力を行使することに積極的です。シリアの反政府勢力への武器援助を率先して主張していたことからも、それは明らかですし、キッシンジャーと意外に近く、彼のアドバイスを受けていることも、やや彼女がタカ派に近いことを窺わせます。サンダーズはベトナム反戦時代の人でして、イラク戦争にも反対していますし、民主党の「ハト派」に属しますが、しかし、彼はそれゆえに外交に関しては弱いとの批判を受けている。
 こういった状況を見ていて、アメリカが一体どういうふうに2017年以降、変化していくかを考えると、けっして明るい状況ではない。こういった国と日本が「血の同盟」を結ぶようになっていく、それでいいのか、という疑問が生まれてくるわけです。

オバマ政権の特殊性

 翻ってこの8年間のオバマの対外政策は、アメリカ外交の中ではかなり特異でした。
 それは第一には「外交」の重視に見られます。特にアメリカの場合、軍事力行使と外交重視はほとんど反比例の関係にあります。オバマは軍事力の行使に慎重な態度を取っていたからこそ、どうしても外交に頼らざるを得ない。それを支えたのはクリントンでしたし、今でいえばケリーである。ケリーの外交力はかなり評価していいかと思います。その結果として、シリアについてもロシアとの外交努力が重ねられています。それからもちろん、イランに関する核協議、キューバとの国交回復といった成果が確かにオバマ政権の時代には出ている。
 ただ、彼は非常にプラグマティックな面もありまして、例えば積極的にドローン攻撃をしていますし、NSA(米国家安全保障局)を使っての情報戦に関しても非常に強硬です。
 そして「核兵器のない世界」については、今となっては完全に失速してしまいました。彼はプラハ演説の時も「核兵器のない世界」の構想を打ち上げましたが、その裏には核抑止論を担保していた。それが8年後になって核抑止論への固執があらわになってきているのは事実でしょう。その背景には大国間関係、特にロシアとの関係の悪化、さらには北朝鮮の核実験を初めとする攻撃的な姿勢がある。特に東アジアに関してはそう言えると思うのですが、核抑止論というのは手軽なわけですね。さきほど軍事と外交が反比例すると言いましたが、ある意味、力の誇示は手軽である。だからそれに頼ってしまう。特に国内政治的にはそうだと思うのですが、オバマ大統領も核兵器のない世界を掲げて、じりじりと外交努力をしていくのは、かなりしんどい話であることは間違いありません。その中でロシアや北朝鮮が攻撃的な姿勢に出た時に、一番短期的に結果が出せる、あるいは日本や周辺諸国を安心させられるのは、核抑止論であると。そういったことからまた核抑止論が大手を振っているのが今の状況ではないかと思います。

歴史の問題――アメリカの場合

 このようにアメリカでは、オバマ政権期のやや特徴的な外交があったとはいえ、どうしても軍事力の行使、あるいは「マッチョな」姿勢に行きついてしまう。なぜなのか。今日はこれに関して歴史からの説明をしたいと思います。
①短い記憶
 その一つは「短い記憶」という特徴です。特にこの間の選挙戦などを見て衝撃的なのは、アメリカの政治もメディアも、極めて短期的な記憶の上で動いている。イラク戦争がその典型ではないかと思います。2008年の選挙のときはイラク戦争が1つの大きな争点だった。クリントンはイラク戦争を支持したというのでかなり批判を浴びました。2012年の選挙はオバマ再選が1つの道筋でしたから、それはあまり問題にならなかった。今年の選挙はどうかというと、これは話題にはなるのですがまじめに議論されることはほとんどありません。例えばリタイアしたジェブ・ブッシュは「2003年の状況に自分が置かれたとして、イラク戦争を始めたか」という質問に対して二転三転、まともに答えられない。しかも、お兄さんのジョージ・Wをトランプなどが攻撃すると、「自分の家族に対する攻撃は堪えられない」と問題を矮小化してしまう。
 大きな問題は、短い記憶しかない結果、イラク戦争はもちろんですが、イラクがどうして今こういう状況になっているのか、どうしてISISがこれほど大手を振っているのか、といったことに対する現実認識ができないということです。
 トランプが典型ですが、彼はイスラム教徒を締め出せばアメリカは安全だと言うわけですけれど、ではアメリカが今まで中東世界で何をやっていたのかに関しては何の理解も示そうとはしない。そういった短い記憶の中でメディアそして政治が動いているというのが、「ネオコンが穏健派と言われるような」状況に陥っている1つの理由かと思います。
②冷戦の終わり方の問題
 もう一つの答えは、冷戦と冷戦の終焉に対する解釈のあり方にあると考えます。
 冷戦の終焉が非常にドラマチックだったこともあり、冷戦後のアメリカには一つの冷戦史の「正統派解釈」が根を下ろします。端的に言えば、冷戦は西側、特にアメリカの完全な勝利と捉えるものです。実際に東欧諸国は社会主義から資本主義化そして民主主義化しましたし、ソ連も解体した。それは翻ってアメリカが政治・経済・軍事、そして道義的にも優越していたことの証明だという解釈が、普通になっていったわけです。
 問題はそこにはとどまらず、冷戦時代に取られたアメリカの政策がほとんど正しかったという議論につながっていく。同盟政策、核抑止論、諜報活動、これらは冷戦時代のアメリカが盛んにやってきたことですが、これらが冷戦の勝利をもたらす役割を果たしたとの解釈が成り立ってしまう。今、同盟、特に日米同盟を公共財だと主張する議論がありますが、そういった見方も次第に定着した。NATOにしても公共財であるという見方です。そして、アメリカの大統領の中で誰が偉かったかというと、トルーマンが冷戦初期に決然とソ連に対して冷戦政策を取ったというので、歴史的評価ではかなり高い位置を占める。そしてレーガンが、冷戦終結を導いたというので根強い人気を、特に一般の人たちの間では誇っている。
 こういった冷戦「勝利」言説、そして冷戦政策への肯定的な見方にくっついてきたのが、「アメリカが例外的な存在である」という考え方です。90年代から、アメリカは「自分たちは必要不可欠の国家である」とか、中国に対して「あなた方は歴史の間違った側に立っている」といった発言を大統領や国務長官が行ってきた国ですが、もともと例外主義的な考え方が強いアメリカが、それが冷戦の終焉であたかも事実であるという解釈を持つようになってしまう。
問題なのは、冷戦政策の中で行われた負のもの―ベトナム戦争をはじめ、世界各地でのCIA工作、イランでの政府転覆活動、あるいは中南米諸国に対する介入―が、大きな流れの中では大した問題ではないと、脇に置かれるか忘却されてしまう。私はイラク戦争でもう一度ベトナムの時のように深い反省がアメリカ社会の中で出てくるだろうと期待したわけですが、それは結局起こりませんでした。今度の選挙戦を見ているとそれは本当にわかります。ジョージ・W・ブッシュを批判するのは「いけないこと」だという風潮が明らかに窺われます。
 このような歴史認識の中で、アメリカが本当に核軍縮や核廃絶に真剣に取り組むことができるのか。残念ながら疑問に思わざるを得ません。

歴史の問題――日本の場合

 翻って日本はどうか。日本の対外政策にとって重要なのは、敗戦という「不名誉」な歴史をどう解釈し、折り合いをつけるかだろうと思います。
①安倍談話の歴史認識
 その意味で、昨年8月の安倍談話は非常に興味深いものでした。安倍首相と彼のコアな支持者は日本の戦争を美化する修正主義的な歴史を語りたかったのだろうと思いますが、それは安保法制の反対運動の中で叶いませんでした。代わって出てきたのは、羅列的な、教科書的な歴史叙述だった。しかし、安倍談話を私は繰り返し読んだのですが、結局これは何を伝えたかったのか、つかみきれません。
 その大きな理由は、日本が敗戦に至った道筋がどうしても書ききれていない、ということだろうと思います。それはある意味で当然のことで、日本が明治以降、真っ先に近代化を成し遂げ、欧米による植民地化を避けることができた、その誇らしい歴史があって、国際連盟にも常任理事国として登場するようになる。この文脈で安倍首相は、「日露戦争がアジアやアフリカの人を勇気づけた」と言ったわけです。そうだとすれば、日露戦争の裏で日本が韓国併合を進めていったことは語りえません。それから、第一次大戦で日本がヨーロッパと肩を並べることになったのを誇るとすれば、日本が大戦中に中華民国に対華21か条要求をつきつけたことも語りえないわけです。
 そういった歴史観の中ですと、日本が戦争を1930年代・40年代に進めていく理由としては、世界恐慌が発生して、ブロック経済になって、日本は孤立感を強めて、道を誤って力による現状変更をしてしまった、という程度の説明しかできず、日本がどうしてアジアへの侵略を進めたかの筋道立った説明はできない。これが、安倍談話が分かりにくい大きな理由ではないかと思います。
②戦後の歴史
 そうやって安倍談話では曖昧にされた「敗戦」の意味ですが、一般的に戦後日本の歴史解釈の中では、「敗戦という「不名誉な歴史」について二つの解釈があったと言っていいかと思います。
 ⅰ)一つは、「敗北」とか「不名誉」の源泉は、1945年8月までの軍国主義であり侵略の歴史にあったという考え方に支えられた解釈です。したがって、この不名誉な歴史を克服するには、日本国憲法の平和主義を活性化して、それによって「国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う」という言葉を実現していく。
 ⅱ)もう一つの解釈は、これが昨今強まってきていると思うのですが、「不名誉」は敗北にあるとする考え方だといえます。戦争の原因は安倍談話に見られるようにあまりよくわからない。しかし、とにかく「不名誉」なのは、敗北し、占領され、占領下に憲法まで制定されてしまったことにある。したがって、「敗北」を克服し名誉を挽回するには、憲法を改正し、国軍を作り、国連憲章の敵国条項を撤廃しなければいけないと。
 ここに敗北の根本的な原因、そして何が「不名誉」か、の考え方の違いが存在しています。ⅱ)の考え方については、しばしば、アメリカに対する態度があいまい、両義的だとの指摘がされてきました。つまり、一方では敗北を強いたアメリカからの自立を求め―憲法改正もその一つですが―、他方では日米安保によりかかって日本の軍備増強を進めて行く。しかし、私は、この矛盾が解消されてしまう可能性もなきにしもあらずだと思います。というのも、日本は今まで「不名誉」を挽回するため強国の後ろ盾が必要で、その役割をアメリカに果たしてもらってきた。しかし、もしアメリカの地位が昨今言われるように世界の中で低下するのであれば、日本は「アメリカの影」から抜け出そうとするのではないかと思うわけです。
 先ほどの冷戦の「勝利」もそうですが、日本の「敗戦」は日本の歴史をリセットする役割を果たしました。ⅱ)の人たちからすると、1回敗北してリセットされたのをもう1回リセットしなおすことで、日本が「敗戦」という「不名誉」な歴史を克服できると考えているのだと思います。
 ただ、実はⅰ)の人たちにとっても、リセットの誘惑は強いと思います。もし日本国憲法を非常に大切に思う人たちが、アジアに対する戦争責任を十分問わないまま、日本が「平和国家」だと主張することがあるとすれば、それは、リセットの誘惑にかられて、戦前と戦後、戦争と戦後のつながりを軽視してしまうことになります。私としては、歴史をリセットするのは非常に危険なことだと主張したいと思います。
(次号に続く。まとめ:ピースデポ)