【特別連載エッセー「被爆地の一角から」95】    
「知る権利を阻害させてはならない」土山秀夫

公開日:2017.07.24

 不幸にして筆者の杞憂は杞憂で終わらなかった。発端は昨年の春のことだった。自民党の調査会がNHKの「クローズアップ現代」とテレビ朝日の「報道ステーション」が事実に反する放送を行ったとして、両局の幹部を呼びつけて事情聴取したことに始まる。
 党調査会は、NHKと日本民間放送連盟でつくる「放送倫理・番組向上機構」(BPO)が自主的に判断するのも待たず、しかもBPOを信用しないのか、政府がBPOに関与する必要性にまで言及するに至っては、時の政権がテレビ局を委縮させる行為と受け取られても致し方あるまい。この直後に招かれた講演会で、筆者はテレビ界がまさかこのまま黙認するはずはなく、放送内容の是非とは別に、堂々と見解を表明するだろうと述べた。
 ところが期待は完全に裏切られた。NHKもテレビ朝日の幹部もひたすら行き過ぎがあったと陳謝し、他局もメディアとしての危機意識を共有する動きをみせようとはしなかった。――そして、この伏線がやがて今国会における高市早苗総務大臣の高飛車な発言へと結実していく。「政治的に公平でない番組を繰り返し流した場合、時の総務大臣の判断で放送局に電波停止を命じることもあり得る」と度重なる野党議員の質問に対して譲ろうとはしなかった。だがどう見てもこの点は高市大臣の越権的発言としか思われない。成り立ちからして放送法第4条1項(番組編集準則)は、表現の自由の保障のもとで放送局の自律的判断に委ねた倫理規定であって、行政介入の根拠になる法規範とは先ず考えられないからだ。
 筆者がこうした経緯にこだわるのには訳がある。5年前まで某民放局の番組審議会委員長を過去20年以上務め、つぶさにテレビ界の流れを学んできた経験のためである。番組審議会(番審)というのは、ほぼ毎月1回、予め局側の提示した課題番組(中央のキー局が製作した作品が主で、時に地方局独自の作品もある)について、10名内外の委員が1人ずついろいろな角度から局側への質問を交えて批評を述べる。また残りの時間は放送全般について委員の注文や要望を聞く。この民放では当時年に2回、全国の委員長が一堂に会する代表者会議が開かれ、テレビの在り方に関する忌憚のない意見交換が行われていた。番審の議事録は全て総務省やキー局に提出され、次回審議ではキー局からの回答が寄せられる仕組みになっている。代表者会議の記録はBPOにも提出され、一般の個人あるいは団体から寄せられる苦情と共に、例えばテレビ番組のやらせ、改ざん、捏造などの指摘の中からBPOとして取り上げ、審理すべきか否かを選別するのに大いに役立っているという。
 それにしても自民党は安倍晋三首相をはじめとして、戦前回帰型の思考の持ち主が目立っている。憲法9条の改定が党是となっているばかりか、基本的人権や報道、表現の自由などに対しても何かと公の前には一定の制約を設けようとする本音がチラつく。テレビやインターネットのなかった戦前のマスコミの世界は、国家権力にとって今より遥かに取り締まりが容易だったことは疑いない。唯一の電波であるラジオは、NHKが唯一の国営機関だっただけに、政府に都合のいい報道のみを流させることは容易だった。残るは新聞と雑誌だ。反政府的や反戦的記事、共産主義や無政府主義にかぶれた記事の掲載があると、社の幹部が呼び出され、編集意図の事情聴取や執筆者が危険人物であることを警告する。
 編集者が怯んで次回から自主規制すればそれでよし。気骨ある出版人が更に同様の行為に及ぶと、今度は言論統制の本性を現わして弾圧に掛かり、最悪の場合は、国の権限下にある用紙の配給を断つと通告されるのだ。今回の高市大臣の「電波停止」は、正にこれに匹敵するメディアへの“死刑宣告”以外の何ものでもない。