【寄稿】  マーシャル「核ゼロ裁判」と核軍縮交渉   ――山田寿則(明治大学兼任講師/国際反核法律家協会(IALANA)理事)

公開日:2017.07.15

本年(2016年)3月7日から16日まで国際司法裁判所(ICJ)においてマーシャル訴訟(核ゼロ裁判)の管轄権および受理可能性に関する審理の口頭弁論が行われた。2014年4月24日のマーシャル諸島共和国(RMI)による提訴の時点でRMIの訴状は公開されていたが、その他の訴訟書面はこの口頭弁論の際に開示された。提訴からおよそ2年を経過して、ようやくこの訴訟の全容が明らかとなった。マーシャル訴訟(核ゼロ裁判)は現在英国、インドおよびパキスタンをそれぞれ被告とする3事件につき手続が進行中である。


これまでの経緯と裁判の仕組み

 RMIは核保有9か国(米ロ英仏中、インド、パキスタン、イスラエルおよび北朝鮮)それぞれを相手取り核軍縮交渉義務の不履行を根拠に提訴していた1が、実際には英印パを被告とする3つの事件についてのみ手続が進行している。国際社会において国家は自らの同意なく国際裁判に応じる義務を一般に負っていない(応訴義務の不在)。このため原告と被告の双方が裁判の開始に同意することが必要となる。ICJには、裁判をより容易にする工夫として、諸国が予めICJの裁判権を受諾する宣言(強制管轄権受諾宣言)を出して裁判の開始に事前同意を与えておく制度がある。これによって、この宣言を出している国同士の関係では応訴義務が生じる。英印パおよびRMIはこの宣言を出しているので、RMIの一方的提訴により上記のように裁判が開始された。残りの6か国は現在このような宣言を出していないので、この6か国が任意で応訴しない限り裁判は始まらない。
 ICJの審理2も国内裁判と同様に書面手続と口頭手続の2つからなる。まず原告と被告がその主張を書面(申述書と答弁書)で交換し、次に法廷における弁論へと進む。弁論の終結後に判決が出る。しかし、実際の裁判では直ちに訴えの中身(本案)の審理に入ることは例外的であり、ICJの管轄権の存否や請求の受理可能性の可否が争われることが多い。つまり、前記の強制管轄権受諾宣言にはいずれの国も、何らかの条件(留保)を付しており、この条件を根拠に個別の事案が予め与えた同意の範囲に該当しないと主張することがしばしばである(管轄権の否認)。また、様々な理由から当該事案を裁判に付すことは適切でない等と主張されることがある(受理可能性の否認)。このような主張が提起された場合、ICJはこれらの事項につき本案とは別個に審理し判決を下す。マーシャル訴訟は現在このような手続段階にある。
 提訴後の2014年6月、まずインドが本事案についての管轄権の不存在を主張し、次いで同年7月パキスタンも管轄権の不在と請求の受理可能性を争ったために、ICJは対印事件については管轄権に関して、対パキスタン事件については管轄権および受理可能性に関して、本案に先立ち別個にとり扱うこととした。その後、15年6月に英国が印パと同じように管轄権の存在ないしは本件の受理可能性を争う抗弁(先決的抗弁)を提起したため、対英事件についても、本案に先立ち管轄権および受理可能性の問題を審理することとなった。これら審理はすでに書面段階を終え、冒頭で触れたようにこの3月で弁論が終結した3ため、現在判決に向けて裁判官による評議が行われている。なお、パキスタンは自らの主張は書面に尽くされているとして弁論を欠席した(ICJでは欠席裁判は可能である)。判決の申し渡しは弁論終結後3~4か月が通例とされるが、本稿執筆時点で判決期日はまだ発表されていない。
 したがって、現在待たれているのは3事件のいずれにおいても手続上の事項に関する判決であり、RMIが提起した訴えの中身(本案)、即ち被告による核軍縮交渉義務の不履行の有無に関する判決ではない。仮に管轄権および受理可能性が否定される判決が出ると手続はこれで終了する(ICJは一審制であり上訴はない)。肯定的な判決が出た場合には本案手続に進むこととなる。

何が論じられたか

 では、3月の口頭弁論では何が論じられたのだろうか。多様な争点が提起されたが、ここでは本訴訟の全体像に関わる争点をみておきたい。
 まず、3事件に共通する争点として、「紛争」の存否(争点①)、必要当事者の不在(争点②)、判決の実効性(争点③)が挙げられる。
 争点①について被告らは概ねこう主張している。即ち、原告は被告の核軍縮義務不履行に基づき提訴しているが、かかる主張は原告と被告の間では事前に提起されておらず、したがって提訴時に当事国間ではこれに関する「紛争」は存在しないと。例えば英国は、提訴に際しては事前通告要件が国際法上確立していると主張し、RMIは英国に対して何らの問題提起もしておらず、提訴は青天の霹靂であるとした。また、インドは、核兵器禁止条約(NWC)締結交渉開始を呼びかける国連総会決議(いわゆるマレーシア決議)に賛成票を投じ続けており、この点からも原告・被告間に立場の違いはなく、そもそも紛争は存在していない等と主張している。これに対してRMIは、提訴直前の14年2月にメキシコ(ナジャリット)で開催された核兵器の人道上の影響に関する会議においてRMI代表がNPT第6条および慣習国際法上の核軍縮義務を核保有国が履行していないことを明確に指摘しているし、またインドは現実に核戦力を増強しており言行不一致である等と反論している。
 争点②は、本訴訟が英印パをそれぞれ被告とする別個の事件であり、かつ原告が被告の核軍縮交渉義務違反の存在を主張していることと関連する。被告が「交渉義務」に違反しているとの認定は必然的に交渉相手である他方交渉当事国(例えば米仏等)の義務違反の認定を伴うはずだが、当該他方当事国は本件訴訟に同意していないためICJは当該国につき管轄権を有していない。このような「必要当事者」が不在である以上、本件につき管轄権は不在である、ないしは請求の受理可能性は認められないと被告らは主張している。とくに英国は「片手の拍手」という比喩を用いて、一国のみでは交渉は不可能であり、原告(RMI)が言うように交渉追求努力が誠実かどうかは相手国の行為との関係でしか適正に評価できないと主張する。これに対してRMIは、交渉の提起の有無や核軍備の改良の存否などをみれば各国の義務履行の有無は個別に評価できる等と反論している。
 争点③は争点②と関連する。訴状によれば、RMIは裁判所に対して、被告による核軍縮交渉義務違反を認定し、判決後1年以内の核軍縮交渉義務履行のための必要措置をとることを被告に対して命令するよう請求している。これら判決は結果として被告たる英印パそれぞれに対して、つまり核軍縮交渉の一方当事者に対してのみ向けられるのであり、想定される交渉の相手方を法的に拘束しないことから、実効性のない判決となる可能性がある。被告らはこの点を取り上げて、現実に結果を生まないこのような判決を下すことはICJの司法としての任務を越えたものであると主張した。これに対してRMIは、被告等について判決は以下のような現実の結果をもたらすと反論する。まず、英国については、①英国が国連総会、軍縮会議、NPTおよび核軍縮に関する公開作業部会(OEWG)などで核軍縮交渉を支持すること、②完全核軍縮交渉の討議と交渉に誠実参加すること、③必要な場合に、かかる交渉を提議すること、④核兵器システムを質的に改良し無期限にこれを保持する行動(トライデント更新が示唆されている)を停止すること、である。インドについては、同国はカットオフ条約(FMCT)以外支持していないし、核軍備競争停止や制限交渉の提案も、交渉の「追求」もしていないので、判決は実際的に重要性を持つ。パキスタンについては、FMCT交渉開始に反対し核軍拡競争制限措置交渉を提案していないし、核軍備の拡張・改良・多様化を行っている。原告の求める宣言判決はパキスタンの行為に含意を持つという。このように、RMIは相手国の同意を要する「交渉」の実現そのものを要求しているというよりも、自国だけで取ることのできる交渉実現に向けた積極的措置の実施を主張していることがわかる。
 次に、対パキスタン事件において争点となっている原告適格の問題(争点④)をみておきたい。本訴訟においてRMIは、米国の核実験により被った自国の被害についての補償を求めているのではない。被告等の核軍縮交渉義務不履行によりRMIに何らの被害も生じていないから、RMIには訴える資格(原告適格)があるか否かが問題とされた。これについてRMIは、パキスタンは核軍縮交渉義務という国際社会全体に対して負う義務に違反しており、RMIには国際社会全体の利益の観点から訴訟を提起する資格がある等と主張している。
 争点②と争点③からは、RMIの主張する被告らの核軍縮交渉義務違反とは、核軍縮交渉がなされていないことではなく、被告等が示す核軍縮交渉への消極姿勢のことであることが分かる。いわば「握手のための片手」を差し出していないことをRMIは問題にしている。また、争点①と争点④の背後にあるのは、核保有国の核軍縮交渉への消極姿勢を法廷で問うことができるのは誰かという問題である。国連総会などの国際会議の場に参加し主張する非核保有国も法廷に訴えることができるのかという点である。このような問題にICJがどのような判断を示すかが注目される。

マーシャル訴訟は核軍縮交渉を後押しできるか?

 では、仮にこれら諸点を含めて肯定的な判決が出る場合、マーシャル訴訟は現在の核軍縮の議論にどのような意味を持ちうるだろうか。
 まず、このような類型の訴訟がICJにおいて可能なことになるから、類似の新たな訴訟が提起される可能性が生じる。例えば核の傘の下にある諸国を相手取り、これら諸国の行動が核軍縮交渉義務に違反すると主張する訴訟が検討されるかもしれない。この点で、評議中の判決は本案判決ではないとしても現在の核軍縮の議論に一定の含意を持つ。もちろんこのような訴訟を回避するために自らの強制管轄権受諾宣言に新たな条件を付す国もあるかもしれない。実際、英国はRMIが提訴した2014年の末に自らの宣言に新たな条件を付加し、類似の訴訟を除外する措置をとった。
 また、本案段階においてはRMIの訴えの中身が議論されることになる。RMIは被告らが国連総会決議に基づくNWC交渉開始の呼びかけやOEWGの議論に消極的である点および核戦力の近代化等を推進している点を根拠に、核軍縮交渉義務を「誠実」に履行していないと主張している。現在国連総会の下に設置されたOEWGにおいては、核兵器のない世界の維持・達成に必要な効果的法的措置の検討が進められている。ここでは包括的NWCのみならず簡潔な核兵器禁止条約(BAN条約)、枠組条約ないしは枠組み合意などの選択肢が議論のたたき台として示され、討議が続いている。他方、核保有国はすべて不参加であり、参加している核兵器依存国の主張は非依存国のそれときわめて対立的であるとみられている。国連総会におけるこの議論と並行して、国連の「主要な司法機関」たるICJにおいて核軍縮交渉義務の中身が議論されることは、この総会における審議に一定の含意を持つ。実際、このOEWGに提出された作業文書においてフィジーなどの太平洋島嶼国は、この訴訟は核兵器禁止条約交渉の努力を補完強化すると述べている4。審理が本案に進むことが明らかとなった段階で第三国としての訴訟参加を検討する国が出てくるかもしれない。
 もちろんこの訴訟は英印パの3か国のみを被告としているから、判決の法的拘束力は訴訟当事国に限定される。しかし判決中でICJの判断、例えば被告のある特定の行為が核軍縮交渉義務に違反すると判示された場合(上記の争点③参照)、ICJのこの判示はNPT6条ないし慣習国際法の解釈として事実上の重みを持つから、訴訟当事国以外の国の類似の行為もやはり違法であるとの非難を受けることとなる。もっとも本案判決は出るとしても2~3年後と考えられる。
 以上の点からすれば、マーシャル訴訟には核軍縮交渉を後押しする事実上の効果が期待できる。実際、G7広島外相会合の声明においてはOEWGにおける「バランスのとれた建設的な対話」に言及しており、マーシャル訴訟による問題提起への応答とみることもできる5
 この夏ごろに期待される判決は手続段階のものであるが、本訴訟の帰趨を占うだけでなく、現在の核軍縮をめぐる議論に一定の示唆を与え得るものとして注目したい。


1 本誌458号(14年10月15日)参照。
2 ICJの弁論は公開される(ICJ規程46条)。ICJのサ イト(www.icj-cij.org)上で動画の閲覧も可能。
3 本誌494号(16年4月15日)にNGO「核時代平和財団(NAPF)」の報告。
4 A/AC.286/WP.14, para. 7.
5 「不拡散及び軍縮に関するG7声明」(16年4月11日)16項。