【特別連載エッセー「被爆地の一角から」98】「岩盤に穴をあけよう」土山秀夫   “朝鮮半島とその周辺で核の脅威を取り除く”――北朝鮮外務省がかつて発表した2つの声明の中に、北東アジア非核兵器地帯への合意のカギが見える。

公開日:2017.04.14

 本誌505号に掲載された文正仁・延世大学名誉教授による論考が目を引いた。「北東アジア非核兵器地帯に進むべき時」と題したこの論考は、最近、特に相次ぐ北朝鮮のミサイル・核実験の挑発に対して、今こそ北東アジア非核兵器地帯構想を推進すべきではないか、と冷静に呼びかけている。
 同様趣旨のアピールは、すでに長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA:梅林宏道前センター長、鈴木達治郎現センター長)が中心となり、元米政府高官モートン・H・ハルペリン氏やノーチラス研究所長ピーター・ヘイズ氏らを交えた国際ワークショップを4回重ねて提案している。ただその際、問題となるのはこうした北東アジアへの包括的アプローチに対して、実際に米国および北朝鮮の両政府が真剣にこれに応じるか否かである。米国ではオバマ政権にもはやその余力はなく、新大統領の発足は事実上年明け以降となる。
 他方、北朝鮮の金正恩政権は、弾道ミサイルや核兵器開発の技術の進歩を内外に見せつけ、意気大いに上がっているだけに、みすみすこれらの兵器を手放す気などなさそうに見える。しかし、もし正恩氏が長期的視野に立ち、朝鮮半島の戦争状態を終結させようと試みた先代の金正日氏の思考を継承する時が来れば、決して解決の可能性もなしとはしないだろう。金正日氏の思考は、6カ国協議の半ばに北朝鮮の代表が自分から「92年の『朝鮮半島における南北の共同非核化宣言』は故金日成主席の遺訓であって、今日でもなお生きている」と発言したことによって表されていた。
 それ以外にも手掛かりはある。例えば筆者たちNGOと長崎県・市共催でほぼ3年毎に開かれている「核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」の第2回大会(03年11月)前に、北朝鮮の平和団体代表と称する人物(恐らく政府の息のかかった者に違いない)から、自分もぜひ集会に参加したいのでプログラムを送ってくれとの要請が、実行委員長の筆者あてに届いた。書類一式を送ると喜んで出席する旨の返事があった。関心はたぶん「非核兵器地帯と核の傘」のセッションではないかと想像した。ところが直前になって、やむを得ぬ事情で出国できなくなった。ついては集会の報告集が出るようであれば、せめてそれを送っては頂けまいか、とのことであった。もう1つの例を示そう。06年に入って北朝鮮は10月に核実験を実施した。その直前と前年に発表された同国外務省の声明文とを分析し、筆者は北朝鮮の意図について本誌の当エッセーで詳述している。
 結論のみを要約すれば、06年の10月3日の声明には「我々の最終目標は朝鮮半島で我々の一方的な武装解除につながる非核化ではなく、朝米敵対関係を清算して朝鮮半島とその周辺であらゆる核の脅威を根源的に取り除く非核化である」と書かれている。一方、前年05年2月の声明では、米韓合同演習に際して、日本やグァム島から飛来した米空軍による核攻撃訓練に言及した上で「もし米国の核の脅威が朝鮮半島およびその周辺から完全に除去されるならば、半島内のみでなく、他の東北アジアにおいても永遠の平和と安定を確実にすることが可能となろう」と指摘している。つまり年次の異なる2つの声明文に傍線部が繰り返されており、しかも「周辺」には日本の米軍基地を含むことが明らかであり、スリー・プラス・スリーの日・韓・北の非核化と完全に符合する。筆者は合意のカギをここに見る。
 いずれにしても日本政府は、今や北東アジアの不安定要因を取り除くため、非核兵器地帯実現に向けて、本気で乗り出すべき時を迎えているのではないか。もはや“圧力”だけで北朝鮮が核兵器を手放すなどという幻想を捨て、彼の国への水面下での働き掛けを行うことは、むしろ唯一の戦争被爆国日本ならではの責務というべきであろう。