【特別連載エッセー「被爆地の一角から」97】  「“お試し改憲”は不要だ」 土山秀夫

公開日:2017.07.15

 自民党は憲法改定を行うに際して、先ず国民に身近な課題を取り上げ、国民投票に馴らした段階で本丸の9条に手をつけるのが望ましい、との考えを示している。手始めとして、大災害やテロなどを想定した「緊急事態条項」の創設を挙げ、これだと国民の理解が得られやすいと目論んでいるようだ。
 「緊急事態条項」は、国家の緊急時に政治的空白を作らないようにするため、一時的に内閣への権限集中を認めるというもっともらしい条項のように思われがちである。この点について12年に発表した自民党の「憲法改正草案」では、「緊急事態において特に必要があると認めたときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる」とされ、その上で「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」とし、「何人も国その他の公の機関の指示に従わなければならない」と続く。この場合においても、「基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない」とも書かれてはいる。
 しかし自民党の憲法草案全体に見られる基本的姿勢からして、この点はにわかに信じるわけにはいかない。現行の日本国憲法が、国家権力を暴走させないために、国民の手によって規制されていることが自民党には気にくわないらしい。同党の草案では日常の基本的人権でさえ、それが常に公ないし公共的利益に反しない限り、との条件つきで尊重されるとしている。つまり立憲主義の理念とは逆に、国家が国民主権を制御しようとする姿勢が、条文の重要箇所に見え隠れしている。ましてやこうした政党の内閣が緊急事態を宣言した場合、国民の基本的人権の尊重や国家の方針に対するメディアなどの手厳しい批判が、十分に保護されるとは極めて考えにくい。
 敗戦の翌年、日本の新憲法制定のための衆議院における審議に際し、金森徳次郎国務大臣はこのように警告している。「民主政治を徹底させて国民の権利を十分擁護するためには、政府が一存で行い得る措置は極力防がなければならない。言葉を“非常”ということに借りて、それを口実に憲法が破壊されるおそれが絶無とは断言しがたい」として、憲法に非常措置を取り得る規定を入れようとはしなかった。今回、自民党の憲法草案に携わった人たちは、ほとんどが戦後生まれなので知らないだろうが、戦前、戦中を通じていかに多くの一般庶民が「この非常時に貴様らは何たることか」とばかり、警察や軍隊などの権力によって人権が無視されたことかを、金森大臣は身をもって体験していたからに違いない。
 しかも現在の日本では、有事や災害時に内閣に権限を集中させる措置が、すでに法律によってしっかり整備されている。例えば災害対策基本法では首相が災害緊急事態を布告すれば、内閣は国会閉会中でも政令を制定できるし、大規模地震対策特別措置法では、地方公共団体への指示や、警察や自衛隊の派遣を要請できる。また相手国から武力攻撃を受けた場合には、「武力攻撃事態対処法」によって緊急対処事態への基本方針を策定することができるほか、「国民保護法」によって武力攻撃事態での国民の協力が細かく規定され、事柄によっては拒めば刑罰を科すものもある。法律や政令の専門家たちは、こうした現状から憲法を改定して緊急事態条項を追加する必要は全くないと言う。いや、必要ないどころか、戦前のドイツで民主的なワイマール憲法にナチスの国家緊急権が盛り込まれたばかりに、独裁への道を許した歴史の教訓を指摘する人も少なくない。
 安倍首相に告げたい。姑息な策を弄することなく、最初から堂々と9条改定の是非を問うたらよい。世論調査の結果から見ても、多くの国民は9条の改定など望んではいない。それでも国民投票を強行すれば、あなたは必ずや国民の審判に打ちのめされるに違いない。