【連載】いま語る― 71 難民の女性が平和構築のカギを握る 根本 かおるさん(国際連合広報センター所長)

公開日:2017.07.13

 小学生の4年間をドイツで過ごし、皮膚の色の違いで異なる扱いを受け、子どもながらにマイノリティや外国人の権利というものを考えました。職業人になってからもそこへの関心は消えていません。テレビ朝日で初の政治担当女性記者になったところ、この分野の女性は少なくマイノリティでした。ジャーナリストとして生きていくための専門性をつけるために2年間休職してアメリカの国際関係論の大学院に留学しました。そこで国連職員に講師として出会い、国連を身近に感じました。
 当時90年代には旧ユーゴ崩壊、94年にはルワンダ大虐殺があり、そこから避難した難民・国内避難民を現場で支援していたのが国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)でした。その頃UNHCRのトップを務めておられた緒方貞子さんへのあこがれもあり、大学院の夏休みに4か月間UNHCRネパール事務所でインターンとして勤務しました。そこで出会ったブータンから逃れてきた難民たちは自分たちのことを自分たちで考え、決定していく気概にあふれたパワフルな人たちでした。女の子は家の仕事のために学校へ行かせないという文化が根強い中で、女の子が学校へ行く習慣づけをするにはまずお母さんの意識改革が必要だと考えられました。そこで教育のある難民女性が難民のお母さんたちに人権講座、女性の能力強化に関するワークショップを開いていました。難民というと援助を待っている弱い立場の人々と考えがちな固定観念を彼女たちは打ち崩してくれました。その後転職しUNHCRで15年間、うち7年間を難民支援の現場で勤務しました。
 冷戦終結からしばらく経ち、これまでは国家間の戦争が中心だったのが、他国が口出ししにくい内戦が中心となってきました。難民・避難民は戦争や人権侵害で故郷を追われます。これは平和と対極にある究極の形です。自立して生きていくためのネットワークやコミュニティを全て失っている。15年末の数字で世界に約6,500万人の難民・避難民がいます。世界の約100人に一人は難民か避難民。これは第二次世界大戦以降最悪の数字です。昨年も難民・避難民の帰還はほとんど起こっておらず、数は増えています 。
 私は、紛争は起こる前に食い止めなければならないと思います。新しい国連事務総長となったアントニオ・グテーレスさんは過去に国連難民高等弁務官を務めていました。その彼は平和のための外交 (diplomacy for peace)、紛争予防(conflict prevention)を最重要課題にあげています。いったん紛争が起こると止めることができず、膨大な人命・経済的損失が発生し、人道支援の莫大なコストがかかります。紛争に至る前に、うまくいっていないことをモニタリングで感じ取り、おかしい方向に行っていたら警告を出し、お互いの言い分を聞きながら橋渡しして調停する、こうした仕事を彼は国連の組織改革を行って進めようとしています。
 昨年3月、国連広報センター所長として南スーダンを訪問し、国連南スーダン派遣団(UNMISS)、国連児童基金(UNICEF)、国際移住機関(IOM)、国連世界食糧計画(WFP)などの活動を視察し、日本語で日本の方々に発信しました。南スーダンは数十年間の内戦の末に独立しましたが、たった2年で紛争に戻ってしまった。そのためほとんどの大人が、経験したことのない平和な時代というものをイメージできません。毎日為替レートが変わる通貨安の中、食料を輸入に頼っているために、経済的困窮が人々を苦しめていることが短い滞在の中で感じられました。産業がなく、石油を産出するもののそこから利益を得る者とそうでない者との間に格差が存在し、民兵には給料が支払われないため略奪が暗黙のうちに認められている。どこから手を付けたらいいのかわからないような状況でした。
 そんな中、しわ寄せを受けているのが女性と女の子です。国民全体の識字率が27%のところ、女性の識字率は16%。教育によって得られる能力に「概念化」(conceptualize)がありますが、教育を受けていないと相手にも権利・自由があり、お互いに敬わなければならないという概念すらわからない。教育が行きとどいておらず、暴力で物事を解決する社会になっている。女性は下に見られ、虐げられ、暴力の対象になっています。男性は難民キャンプの喫茶店でお茶を飲んでいる一方、農作業や家事の仕事は全部女性が行っています。女性と女の子が教育を受け、尊厳を守られ、子どもの将来を願いながら政治の場、和平交渉の場、地域運営の場に入り戦争の愚かさについて声をあげることが平和な社会への一歩なのではないかと思います。(談。まとめ:山口大輔)

ねもと・かおる
テレビ朝日を経て、1996年から2011年末までUNHCRの職員としてアジア、アフリカなどでは難民支援活動に従事し、ジュネーブ本部では政策立案、民間部門からの活動資金調達のコーディネートを担当。フリー・ジャーナリストを経て13年8月より現職。